真田さんが特殊救難隊を辞した後で捏造。
>>邂逅 吹き付けてくる風に、首に掛けていただけのマフラーが揺れる。少し離れた建物の玄関を睨みつけた。中で待っていれば良いと言う真田に、すぐ終わるのであるならば、外で待っていると言ったのは盤自身で、だからと言う訳ではないが、所謂官公庁に当たる建物の中へ足を踏み入れる気にはなれない。 年々暖かくなって来る冬に、温かな地方から来た盤は助かってはいるが、それでも、あちらより上京したこちらの方が相変わらず寒かった。 特殊救難隊を辞した真田が陸上勤務になった時、横浜かどこかで直接後進の指導に当たらないことを意外に思いながら、腹立たしくはならなかった。聞けば理由を教えてくれただろうけれど、聞いたことは無い。真田のことで、自分がそうしたいと思って納得ずくでしていることなのだから、それで良いと思ったのかは分からなかった。 何にしても、もう数年前の話である。盤も経験を積み、責ある職に任じられ、新米だった頃を懐かしむ余裕が出て来た。 「へえ、ここですか」 「そうだよ、面白くも無いから付いて来なくて良いって言っただろ」 「まあそうですけど、折角東京ですよ。俺初めてなんですから」 年若な青年らしき声と年期の入った男の声が、遠く聞こえて来る。 ふと、聞き覚えのある気がして、それが誰かは思い出さなかったけれど、後ろを振り向くと、思った通りの年代の二人連れがこちらへ歩いて来ている。妙な取り合わせだと思いながら、年嵩の男の顔に瞠目した。 思わず凝視していた盤の視線に二人連れも気付いたのか、視線を向けてくる。以前より、少し老けた顔がこちらを見止めた。 「あれ、盤ちゃん」 その癖、物言いだけはいつもの、少し気の抜けた物で思わず笑ってしまう。 「もう少し驚くとかしたらどうね」 「お、本当に盤ちゃんか。相変わらずだな、元気だったか」 文句を付けた盤を気にする風でも無く手を振って近付いて来る押尾の後ろを、訳が分からない様子の青年は不思議そうな表情で着いて来る。あ、俺の後輩ね、と間違ってはいないが端折り過ぎた説明をする押尾に半分呆れながら、盤も真田を待っていた場所から少しだけ押尾達へと近付いた。 「見てわかろーもん。そっちこそ、腰痛とかなっとるやないと」 「言ってくれるな、お前俺を幾つだと思ってるんだ」 「え、五十路過ぎじゃないですっけ」 あ、済みません、と思わず口を挟んだことに気付いた青年が眉を下げる。一緒にいることから察すると、彼も押尾と同じく高知からわざわざ上京して来たのだろう。潜水班なのかと思っていると、気を取り直したらしい様子で、盤へ話し掛けて来た。 「ええと、おっし……押尾さんの後輩ってことは、特殊救難隊の方ですか」 「そうだな、こいつが最初に配属されたのが俺の所だった訳」 物慣れない敬語での問いに、さっさと答えてしまった押尾を余所に、青年がまるで兵悟の様に目を輝かせた。 「うわー本物ですよね、嬉しいです、俺、佐々木って言います。押尾さんのとこに配属されて二年になります。あ、いえ押尾さんもそうなんですけど現役の人は生で見たの初めてで。って言うか押尾さんは、普段が普段だから何か憧れれません」 「あー、分かるばい」 どうせ異動した先でも、特殊救難に居た頃と同じなのだろうから、嘗て佐々木より酷いことを考えていたこともある盤としては、そんなものだろうと思う。だが、一度押尾の仕事姿を見ればこの人の地位に一片も疑いを挟む余地は無くなる。そこから尊敬するか否かは人それぞれであるけれど、技術は確かで、だからこそ悔しかった。 緊張故か、一人話し続ける佐々木と、ほとんど相槌しか打っていない盤の会話を、押尾は怒るでも無く聞いている。その視線が少しだけ玄関へ向いた。 「ところで、お前はどうしてここに居るんだ。中に入らないのか」 「待ってるだけばい――すぐ終わる言うとったし」 本当にすぐ終わるはずだったのだろうが、実の所既に三十分近く経っている。玄関にいる守衛に時折不審そうな目を向けられてはいるが、盤は気にする性質では無かった。 「用事があるんやったら、早く済ませたらええばい」 「俺達も直ぐ終わるんだがな」 「その為にわざわざ東京まで来たとね」 「役所はそう言うものだろうなあ」 「まあ、そのおかげで俺も勉強の名目で付いてこれたんですけど」 肩を竦める佐々木を見る押尾の目は、呆れながらも柔らかい。押尾が除隊したのも、もう数年前。どこでも上手く遣っていける人だとは思っていたから、そう言う点では全く心配などしていなかったけれど、実際に目で見ると安心出来た。 押尾が除隊して、おそらく半年経った頃。真田に、一度高知へ出掛けてみてはどうだと言われたことがある。首を横に振ったのは、その時の自分では駄目だと思ったからだった。押尾のことを、忘れたことは無い。押尾自身がどう考えているのであれ、確かに押尾は盤の為に職を辞した。あの時、盤が自分よりも適任だと思ったと言う言葉を、長倉から聞いたけれど、託されながら遂行出来なかったのは、機器の所為でも押尾の判断ミスでも無く、盤の所為だと思っている。 不完全な機器を持ち出した、それを使いこなせると思っていたのは、盤の傲慢さと、助けたいと言う気持ちからだった。過ぎたことは戻らない、したことは戻せず、そして盤は過去に捕われる性分ではない。それでも、自分の為に、押尾を除隊させてしまったことが――人を助ける身としては失格なのだろうけれど――救助を待つ人間を助けられなかったことより、悔しかった。 自分が助けられた時と同じままでは、押尾に合わせる顔が無かった。少しでも、進んだ姿で会いたかった。今得た邂逅に、苦い気持ちにならないのは、盤自身が慢心では無く、あの時より進んだと思っているからなのだろう。 そして、押尾はあの頃と変わらない。 「良かったばい」 「何がだ――」 呟いた一言を聞き止めながら、押尾が不意に言葉を途切らせる。その目が建物の玄関を見て納得気に頷いた。真田か、と漏らされた一言に盤も振り向いて玄関口を見ると、黒いコート姿の真田が眼に入る。向こうも盤を見ていたが、その傍にいる押尾と佐々木に気付いたのか軽く頭を下げた。 「デートか」 「……知らんばい」 そう言えば、押尾は真田と盤の関係を知っていたのだと、今更の様に思い出す。ここで押尾に会った時に気付くべきだったのに、驚きの方が強くてすっかり忘れてしまっていた。思い出してしまえば、短い期間ではあったけれど、からかわれたことまで思い出してしまう。 一緒にいる佐々木の方が、またもや不思議そうな顔をしていたことに安堵しながら押尾を睨みつけると、ひょいと肩を竦められた。 「そう言えば、真田は今は上だったな」 「そうやね」 知っていたのかと思いながら、適当な相槌を打つ盤に気を悪くするでもなく押尾に、真田さんって誰ですか、と佐々木が問う。真田が特殊救難を外れてからまだ一年程度、佐々木が潜水へ配属された時にはまだ神兵として知られていたはずであるが、特殊救難隊に憧れは持っていても、真田を知らない人間もいる。別におかしなことでは無いが、意外だと思ってしまうのは、盤が真田を追った事実があり、同期の兵悟や星野もそうだったからだろう。 足早に近付いて来た真田は、もう一度押尾へ向けて頭を下げた。 「お久し振りです、お元気でしたか」 「ああ、元気だぜ。真田さんも元気そうだな」 「押尾さんもお変わりない様子で何よりです」 礼儀正しく押尾へ挨拶をした後、片二重の目が盤を見る。 「待たせたな、悪かった」 「良かばい」 外で待っていると言ったのは盤の方であるし、時間が掛かったのは真田の所為では無いだろう。第一、時間が掛かっていることを分かりながら、中に入らなかったのは盤自身である。気にする必要等無いのだと、真田を見上げると、端整な顔立ちの中で眉が動いた。不意に伸ばされた真田の手が、流していた盤のマフラーを取る。一度首から外して二つに折るって再度盤へ付け直す真田に、目を瞬かせたのは佐々木だけだった。 「相変わらずだな、真田さん」 「何がです」 「いや、有言実行で安心してる」 普段と物言いは変わらぬまま、どこか楽しそうな様子で言う押尾の台詞の意味は盤には分からない。だが、真田は思い当たる節がある様で、少しだけ口元を綻ばせる。 「用事はこれからですか」 「ああ、終わったらとんぼ帰りだがな。行くぞ、佐々木」 「え、あ、はいっ」 邪魔したな、と、押尾は盤と真田に手を振って背を向ける姿と佐々木の背が並んで歩き出す。あっさりとした別れは押尾ならではかもしれなかった。ただ、それになぜかもどかしさを覚えながら、離れるその背を見詰めていた盤の肩を、不意に真田の手が叩く。 「押尾隊長」 押される様に、機会を逃すなと言われている様なそれに、思わず呼び掛けていた。 何と呼べば良いのか、迷うこともなく自然と口をついた数年前の役職に、押尾が立ち止まって振り向く。何だ、と、訊ねながらも促しはせず待っているだけの目に、盤は口角を上げた。 「今度、休みが取れたら教えるばい」 「――もっと分かりやすく言えよ。じゃあな」 ただ聞いていれば何か分からない盤の言葉に、押尾は少しだけ間を空けて笑う。佐々木は相変わらず意味が分からないと言った顔で、おそらく後で押尾に尋ねるのだろう。 休みが取れたら教えるから、高知まで行くからと含んだ台詞を、間違うことなく受け取って、また背を向けて歩き出す姿が建物の中へ消えるまで見ていると、真田に良いのかと尋ねられた。 何のことかと視線を上げると、真っ直ぐな黒い目が僅かの間建物を見る。 「待っていても構わないが」 ああ、そう言うことかと思えば、自然と口元に笑みが浮かんだ。少しだけ、目頭が熱い。 「ええよ、気遣わんで――ありがと」 「分かった」 さっきだって、あっさりと分かれた押尾の背を理由も判然としないまま抱えていたもどかしさに見送るだけだった盤の背を、押してくれたのは真田だった。謝辞は、待っていても構わないと、その言葉に対してのみではない。押されて、口にしてしまえば、数年振りに会った押尾が数年前と同じ様な普通さでまるで日常の様で、盤自身が何を言えば良いのか本当は分からなかったのだと気付く。謝りたかったのかと言われれば、そうであるのか否かも分からない。 ただ、謝った所で、盤の所為では無いと言われるだけだろう。押尾の中では除隊は既に過去のことで、後悔するとするならば、盤より押尾が適任では無かったことで、だから、謝られることではない。押尾が気にしていると、盤も気にしなければならない等と言う理由では無くて、押尾自身がそう考えている。 これから先、盤があの時のことを気に留めなくなる日が来るかと言えば、それは否で変わらない。けれど、あれから数年経って、盤もあの時程幼くは無く、押尾にも苦しさを抱えずに会えたと言うことは、多分良いことなのだろう。 押尾に一度だけ、めぐる、と呼ばれて、それは望んだものであって、その時には望まなかったものだけれど、今思えばその一度で充分だった。 「いっつも優しかね、真田さんは」 「そうか」 「そ」 意識してそうしているつもりは無いとばかりの真田は、本心ではある。けれど、盤がそう感じるのであれば、それが事実でもある。真田は決して人を疎かにしたり、邪険にすることは無い。他人と物の捉え方や考え方に特有の物を持っているけれど、いつも人ときちんと向き合っている。それが真田にとって当然のことであっても、中々皆、そうは出来ない。誠実であることは優しさの一つであるのかもしれなかった。 正直、真田とここまで長く続くとは思っていなかった。すぐに終わると別れを見越して付き合っていた訳では無かったが、なぜか、続くことも別れることについて考えたことも無かった。考えたことが無いからはっきりとは言えないが、別れてしまえば多分寂しい。 真田は盤を名前で呼ぶ。別れれば、呼ばなくなるだろうことは想像に容易い。真田と別れた後の自分が、真田に名を呼ばれることを厭うかどうか分からないけれど、もし好きであるまま別れるならば、名を呼ばれないことは、呼ばれることと同じ位辛いだろうと思った。 そう言えば、真田は盤を名前で呼んでいるが、盤は真田の名を呼んだ事がない。呼んで欲しいと促されたことが無かったから、特に気にしてはいなかったけれど、真田自身、どう思っているのかも知らない。 呼びたい様に呼べば良いと、あっさり言われそうでもある。 「真田さん」 立ち止まったまま、己を見上げている盤に口を挟むことも無かった真田を促して歩き出す。これからの予定は決めていなかったが、歩きながら考えれば良いことで、不意に強く吹いた風に盤はマフラーを締め直した。今年は去年よりも寒いのかもしれない。他愛の無いことを話しながらたまに途切れる会話は、居心地の悪いものではなかった。 盤、と名を呼ばれて、真田を見上げるでなくどうしたのかと訊ねると、少しだけ歩調が緩む。 「俺がお前に優しいと言うなら、それはお前に嫌われなくない打算が入っているんだろう」 「はい?」 いきなり何なのかと思えば、元は盤が言い出したことに違いない。けれど、それを考えていたのかと思うと、今更にそう言えばこう言う人だったのだと気付かされた。おまけに、言っていることは好かれたいと酷似している。はっきり物を言う人だとは当に知っているけれど、何だかくすぐったい気持ちにさせられた。 「真田さんは下の名前で呼ばれた方が良いとね」 「いや、お前が好きな様に呼べば良い」 「そうやね」 脈絡の無いことを聞いたにも拘らず、即答された予想通りの答えについ笑ってしまう。 「――だが、下の名で呼ばれれば、嬉しいだろうと思う」 少しだけ間置いて、付け加えるよりもただ独り言の様に紡がれたのは、取りこぼしそうになる程意外な言葉だった。思わず立ち止まった盤を、どうかしたか、と真田が覗き込む。何でも無いと首を振るには驚きの方が強く、かと言って特に答えられる様な台詞も見つからない。真田にしてははっきりしない物言いは、実際分からないからなのだろう。 結果的に黙ったままになってしまった盤の髪を、冷たい風が揺らす。 呼ばれたことが無ければそう言う言い方にもなるだろうそれが、全く、都合の良いことに嬉しかった。 高知って、先に土佐と出てしまうのが不思議。 四国はむしろ全部そんな感じですが、と言うよりそっちの方で県名が上書きされてます。一国で一つしか無いばかりからかもしれません。 08/04/19 |