>>真メグ+大羽+ゲスト(大嶋) 「っかれた―――……」 「食べるか、寝るか」 訊ねていない様な口調ではあるが訊ねている声に、ソファへダイブした盤は顔を上げた。ずれた眼鏡の所為で、片目だけ視界が悪い。カーテンの引かれたリビングの窓から振り込んでくる明るさが電灯など不要な程に、午後を回った室内を明るくしてくれている。 「……腹も減っとうけど、眠かー」 真田に聞こえない位の小声で口にする。夜勤明け、身体中が痛い。新しく真田隊に配属されて二週間、おそらく高嶺や安堂を除く盤達三人は同じ状態だと思われる。自分に出来ることは他人も出来ると、嫌味無く思っている相手はきつい。本人には悪気など欠片も無く、彼に合わせる様な訓練とて、能力を高める為であるから強く文句も言えないが、恨みがましい目くらいは勘弁して貰いたい所でもあった。 「あー、もう。やっとれん」 独り呟いても、当の真田は服を着替えに隣室へ行ってしまっている。真田には悪いが、このままソファを借りさせて貰おうと、再度ソファに突っ伏すと、ぐるぐるぐると腹が鳴った。 「食べてから寝ろ」 運悪く聞かれていた腹の虫と、寄って来た気配にひらひらと手を振る。盤に選択権は与えられているが、真田によって決められてしまえば、覆す方が面倒で、困難だった。決められて、と言っても、つまり今の状況なら酷く腹が減っているのだと、判断された故である。特殊救難隊の隊員自体、結構な大食漢だが、真田はそれを上回る。別段大柄な身体でも無いのに、どこに食物が吸い込まれて行くのか甚だ疑問だが、まあ大方の意見は、真田だから、で納得されてしまうのだろう。 何にしても、こうなっては寝ることは叶わない。仕方ないと、むくりと起き上がると盤は洗面所へと動いた。盤が住む官舎より当然真田の広いマンションは、洗面所も広い。研修時代、帰りに時折寄らせてもらい、真田が仕事でいないのを良いことにだらだらさせてもらったりしていたが、今は仕事や休日が重なるので、必ず真田の顔を見ることになるが―――当然、それが嫌な訳でも無く―――しかし、未だに来るか、と誘われた覚えは無かった。 研修時代も、盤が勝手に上がり込んだり、今とて盤が勝手に着いて来ているだけである。それを受け入れてくれているのは、自惚れでは無く、言ってみれば私事として、その勝手気侭さを受け止めることで、甘やかしてくれているのだろうが、たまには誘ってみろとも言いたくなる。 「まー、無さそうやけど」 洗面所の上の棚を開けて、救急箱を引き出した。湿布がいくつか入っていたはずで、一緒に鋏も入っている。キッチンの方から何かを炒める音が聞こえ、同時に良い匂いが漂ってきた。箱を抱えてリビングへ戻る。真田の目の前で醜態を晒す様なものではあるが、自分の能力不足に何が言える訳でも無く、手当てしないとそれはそれで怒られるので、気にすることは止めた。ソファの足元に自分で置いた鞄に躓きそうになりながら、箱をテーブルの上に置くと、丁度呼び鈴が鳴る。 「ええよ、出る」 手を止めたらしき真田に声を掛けて、大股で廊下を歩く。盤が着いて来る時点で真田が何も言わなかったと言うことは、急な来客と言うことである。案外、新聞の集金かもしれないが、真田は確か振落にしていたはずだと重いながら、ドアスコープで外を覗くと、知った顔が見えた。 「あれ、大羽君」 「よ、お疲れじゃの」 開けると、盤と同じく抜けない方言が軽く片手を上げる。そのまま違和感を感じて視線を下に下げて、目を見開いた。 「どうし―――ばーちゃん?」 目の前にはいるのだが、俄かには信じられない祖母の登場に思わず声を大きくした盤に、キッチンから真田が顔を覗かせる。 「久し振りたい、元気しとったか」 盤が最後に家族に会ったのは、退院した日である。半年以上は前になり、電話はともかく、他に連絡を取り合ったりはしていなかった。その電話にしても、この前祖母と話した時には、こちらに来るなど欠片も匂わせていなかっただから、一体どうしたのだろうかと思う。 「上がって頂こう。大羽は他に用事はあるのか」 「あ、いえ―――」 「良ければ上がって行くといい」 驚いていて、真田が近付いていたことにも気付かずにいた盤に代わり、てきぱきと指示の様な勧誘が続く。土産、と言われて祖母の手から渡された紙袋を反射的に胸に抱き締める。見ずとも分かる中身は松露饅頭と羊羹で、甘い物が好きな盤にとっては地元の土産と言うことに加えて嬉しい。礼を口にすると、ばんばん、と腰の辺りを叩かれた。 湿布は後で良いだろうと救急箱をソファの後ろへ追いやって、真田の代わりにフライパンで炒め物をしながら、隣で手伝っている大羽に―――無理に手伝わせていると言うか、そうでなくとも大羽自身リビングに身の置き所も無く、かと言って真田に引き止められた以上すぐにも返れず―――問いかける。 「なしてばーちゃんと大羽君が一緒におるんね」 「俺も休みじゃったし、兵悟のとこ行こう思おたら、お前の部屋の前に」 嶋本なら、前になんや、いてはって、か、おらはって、とか最後まで言え、と関西弁が飛びそうだが、それはともかく、確かに、盤と兵悟の部屋は同じ階にある。しかし、兵悟の家とは、休日の大羽にしては珍しい。と、言うより、盤が自室にいないからと言って、真田の家にいると限った訳でも無いだろうに、とも思うが、その兵悟辺りにでも聞いたのだろう。真田と一緒に帰っている所を見ていたのかもしれない。それでも、真っ直ぐ家に帰るとは限らないのだから、電話の一つでも入れれば良いものを、と思う。 「びっくりしたばい、何の連絡もせんと」 「休み判らんじゃろ」 違う意味で取られたが、それも言いたかったことでもあるし、訂正するのを止めた。大体、困るようなことでも無いのだから、細かいことはいい。 「基地から空港まですぐやろーに」 ちょっと連絡を入れてくれれば、空いていれば迎えに行く位したのに、と廊下からリビングのローテーブルで真田と向かい合って玉露を啜る祖母を覗き見る。野菜の量は増やせるが、釜の中の白飯の量は増やせない。真田と祖母はともかく、盤と大羽は主食はラーメンにしようと、大羽にフライパンを任せてキッチンの戸棚を探った。 「お前、焦っとらんのう」 「なして」 「真田さんのこと」 この間持ち込んだインスタントを見つけて手を伸ばしながら、ああ、そう言うことかと察して、薄く笑って肩を竦めた。 「上司たい」 「お前は上司の家行って、上司に飯作らすんか」 「やって、おい眠たかったのに食え言うたん、真田さんばい」 強制、と言う程でも無いのだが、勧めたする方がする、と言うことで真田が作っていただけである。大羽の方はどうなのだろうかと思ったが、嶋本の場合は有無を言わさず大羽がやるか、二人でした方が早いと言うことで共同作業かどちらかなのだろう。そこまで考えて盤は、先刻疑問に思ったことを口にした。 「言うか、大羽君こそなして兵悟君とこたい。嶋本さんも休みやろーもん」 嶋本も大羽も、今回同じ隊で、大羽は盤と同じ潜水担当でもある。ついでに、ここからが本題ではあるが、嶋本と大羽も、真田と盤に等しい関係を築いている。休日ならば、嶋本の所へ行くだろう大羽に首を捻ると、深い溜め息が聞こえた。 「……たまには独りで過したいんじゃと」 多分、反論せずに了承したのだろう、相変わらず尻に敷かれている感は否めないが、逆こそ思い付かない。大羽の情けない、沈んだ声に同情しないでもないが、盤自身はどちらかと言えば、嶋本の意見に賛成である。 「まあ、そうやねえ」 仕事とはいえ職場でも隊も同じで、常に一緒なのである、尚且つ休日までずっと一緒にいられては―――人によりけりかもしれないが、盤はそうである―――いくら好いた相手とは言え気詰まりに思うこともあるだろう。盤自身は自分の気持ちが乗るか乗らないかで、真田のマンションに来ているので、気紛れだとは思われていそうである。 「しかし、お前のばあちゃんと真田さん、話が合うのう」 この話は続けたくないらしい大羽が、時折聞こえてくる盤の祖母の笑い声に、話題を逸らす。 「―――そうやね、押尾隊長とも何か話とったばい」 ああいう事故が起きた時の上司であった為、ともすれば不和になりかねない間柄であったにも関わらず、尤も盤自身は祖母に限りそれはないと思っていたが、盤の病室で会話する二人は楽しげであった。竹を割った様な性格でもある祖母は、盤にとって一番近しい。 娘時代の友人に会いに来たと言う祖母は、結構な年齢ではあるはずだけれども到底そうは見えない程矍鑠としている。 あんたも異風者たいね。 そう言って笑う声が聞こえた。 「それじゃ、盤をよろしう」 短時間ながら、すっかり馴染んでおまけに酒の話で意気投合してしまった祖母が、真田に向かって豪快に笑う。盤の上司だと紹介したから、強ちでも何でもなく、間違いでは無いのだが、幾分複雑混じりに盤も口元を緩めた。律儀に、はい、と答えて数度言葉を交わす二人の会話を聞くとは無しに聞いていると、どうやら酒でも送られて来そうな具合である。盤では真田には到底付き合えないので、これはまた嶋本や大羽達と一緒に飲むことになりそうだ、と思っていると、その大羽が挙動不審気にしていた。 「大羽君、嶋本さんとこ行くんね」 食事中からどことなくそわそわしていた大羽は、こちらに気付かれない様に、こっそりキッチンやトイレに何度か携帯を確認していたらしい。席を立って戻ってくる度がっかりした様子だったから、メールも着信もなかったのだろう。嶋本のことだから、たとえば浮気などと疑っているのでは無いだろうが、まめな大羽に対し、案外嶋本は大雑把な所がある。数日離れていた訳でも無いのに、連絡を取りたがる大羽の気持ちは生憎盤には理解出来ないものではあるけれど、柄に無く微笑ましいと思った。 「放っとけ、わしは諦めんのじゃ」 嶋本を慣れさせてやると言わんばかりの意気込みで、珍しく一人称が、俺、では無く、わし、になった大羽に、盤は薄っすらと笑む。嶋本の傍に二六時中一緒にいる様になってから、関西弁はうつらないのに、一人称だけは変わり始めた。勢い込んだりしている時等を限ればそうでもないが、普段大羽の一人称は、俺、である。 大羽の懐は広い。嶋本に大方の部分で負けている大羽だが、根の所ではしっかり掴んでいて、多少なりとも嶋本の安らげる場所であるのだろう。こう言うと、嶋本が大羽に甘えている様であるが、甘えると言うより、共に立つと言った方が正しい。共に立つことを許しているから、安心出来る、そう言うこともあるだろう。だからと言っては語弊があるかもしれないが、嶋本は過度の接触は望まない。 だが、この大羽の様子を見ていると、嶋本も慣らされる日が訪れそうだとも思う。大羽の脳内に、嶋本に関してのみ、諦めが肝心と言う言葉は無いらしい。 「ばーちゃん、気を付けて帰るばい」 空港まで送ろうとした真田と盤を制して、エントランス所かマンションの玄関までで良いと言ったのは、疲れているだろう盤達への気遣いと、祖母自身の矜持だろう。案外、隣の大羽に駅どころか空港まで付き合わせるのかもしれない、と通路を去って行く小さい背に思う。あの背に、何度も背負われた。 「良いおばあさまだな」 「……そうかもやね」 自分でもそうは思っているが、他人から、それも真田から面と向かって言われて素直に頷けるかと言うと、照れが混ざる。何と答えたものかと思い、無難な返事をして真田を見上げると、片二重の双眸がじっと盤を見ていた。首を傾ぐと、小さく口許が上がる。 「お前との事を言われている様で、妙な気持ちになった」 何が、とは言わなかったが、見当は付く。すぐに戻った真面目な顔で、ぽん、と軽く頭に手を乗せられてそのまま髪を梳かれる。 「ええよ、言わんで」 言い難いだろう、実は上司だけではなく、情人、所謂恋人であるなどと、拘泥なく言える方が珍しい。また、盤としても、今の所白状―――と言うと悪いことをしている様だが―――するつもりも無かった。ただ、父母よりは祖母の方が話し易いと思っている。どちらにしろ、盤は未来を悲観的に見てはいない。 「だが、遊んでいるつもりはない」 「―――……真田さんから、そんな台詞聞くとは思わんかったばい」 それは判っているが、面と向かって口にされたことに驚いて、眼鏡越しの顔を見遣ると、いつも泰然としている様なあまり表情の変わらない面が、少し目を細めて盤を見下ろした。 「迷惑か」 「いや、なして?」 迷惑な訳が無い。即座に否定して、問い返すと、俺はお前に対して好きにしていると思う、と思いも掛けぬ事を口にされた。 「逆やろーもん。おいの方ば、好きにしとうよ」 真田の所へ好きに来ている状況然り、最たるものは盤の怪我だろう。その辺りは嶋本にも感謝している。上手く言い包めて、否、元々盤の怪我を真田に知らせる理由自体元々なかったのだけれど、それでも真田に知られない様に取り計らってくれていた。盤自身も、目を覚ました後、真田に対して自分のことなど言わなかった。連絡をまめに取っていなかったことも、この点では幸いしている。帰国後、初めて二人きりになった時、抱き締められて一言漏らされた台詞が重たかった。それでも、知らせなかったことに謝罪はしなかった。 真田に対して、盤は好き勝手をしている。真田がどう感じているかはともかく、それは事実に違いない。 「やから、真田さん、おい、ここに誘ったことなかばい」 遠回しに責めている訳でも何でも無くて、ただ静かになった雰囲気を払拭しようと、軽い口調で揶揄する様に口にすると、ああ、そのことか、とあっさり真田は理由を口にした。 「お前は、始終傍にいられるのは嫌だろう」 こちらも責める口調ではなく、ただありのままだったから、この点では拗れないが、それよりも、口にされた理由に思わず目を見開いた。つまり、盤が嫌がるから誘わない、それより、その言い方だと真田は誘いたい時があったと、その様に解釈出来る。人に寄っては、態のいい言い訳だが、真田の場合台詞に裏表は無い。何より、そう盤自身のことを理解してくれているのだと知って、妙なところで鋭いと思った。否、普段鈍い訳では無くて、人とシナプスが違うだけなのかもしれないが、この際それはどうでも良い。 なんだ、そうだったのか、と思えば先刻の空気などそっちのけで、自然と笑いが込み上げて来る。結局の所、やはり真田は盤を甘やかしてくれていたと言うことだった。 「確かにそうやけど、誘われたら断らんし、嫌やったら言うもん」 「そうか」 なら安心だ、と言わんばかりの物言いが不思議で僅かに眉根を寄せると、それに気付いたのか、悪い意味じゃない、と付け加えられる。 「お前は、人の言いなりにはならない」 悪い意味では無いが、取り方に寄っては決して良い意味でも無い。大体、そう言う真田自身もそう言う気質で、兵悟など尚更である。嶋本とて、そうであり、又、トッキューにいる人間自体、そんな人物が多い。真田がどう言う意味を含ませて言っているのかは判らないが、額面通りで解釈しても大丈夫だろう。 「真田さんはそっちの方が好みなんね」 何にしても、盤自身、簡単に他人の言いなりになる性質で無いことは自覚しているが、あっさりと断言されたことが、理解されている様で嬉しい反面どこか面白くなく、態とそんな風に訊ね返してみると、真田は顎に手を当てて思案めいた顔を浮かべる。 「出来れば、しっかり意思を持ってくれていた方が好ましいとは思う」 「ふーん。じゃ、おいも今のまんまで行くたい」 「そう言う意味じゃない―――が、変わるなと言うことでもない」 真田の答えを深く取るでなく、軽く肩を竦めてからかい口調でそう言うと、思いの外強く否定された。そのまま、先程と同じ様に見下ろされ、つい眉間に力を込めて見返すと、盤が映り込んでいる双眸が見える。 「痘痕も笑窪と言う。お前はお前だ」 そう長く無い時間の後、いつもの顔で言う真田を、思わずまじまじと凝視していると、不意に伸ばされた手が、すい、と盤の前髪を分ける。 「言い方が悪かったな、済まない」 まるで独り言の様なそれに、盤は瞼をゆるりと上下させた。 言い方が悪くて訳が分からなくて凝視していた訳ではない。真田は何事でもはっきり口にすることは知っている。普通に聞いていればどれだけ気障だと思う様なことでも、臆面無く言うし、それが本音だとも判っている。けれど、仕事とのギャップが激し過ぎて、未だに慣れない。台詞をまとめれば、今のままでも変わっても、盤は盤なので構わない、とそう言うことである。 「そうでもなかよ―――酒が届いたら、嶋本さん達も呼ぶばい」 こう言う真田の本音に慣れるのはいつのことだろうと思いながら、反面、驚かされる遣り取りが酷く柔らかなものに思えて、慣れずとも良いとどこかで考えている。案外、こっちが痘痕も笑窪なのではと思わされて、照れる代わりに可笑しさで口元を緩めた。 短い中で場面が転々としてまして済みません。 えーと、もし、お持ちの方がいらっしゃいましたらですが、盤くんの怪我を知らせなかった云々は、去年出したvalentine eve+加筆の「隣を行くひと」とは繋がっていません。 (07/07/04) |