>>valentine eve(真田+嶋本/真メグ大嶋)


「あ」
「珍しいな」
甘い物をそこまで好んでいるとは知らなかった。
少しずれた発言に乾いた笑いが零れる。

相手が例えば自分が数度担当して来た元ひよこ達や高嶺達隊員だったら、別の顔や科白だったのだろう、偶然の、どちらかと言えば見られたくなかった場所での上司との奇遇に、嶋本は金輪際この日、否この時季こんな場所には訪れまいと思った。










「まあその、大羽がですね。一度でいいからくれと」

あまりの懇願と、一度で良いからとの限定に加え、情を交わし始めて数年来一度もやったことが無かったから。更にプラスしてまあ一人前になったことだしと、これでもかとの理由で非番の本日訪れたのはデパートの通るだけで甘ったるい匂いが漂ってきそうな茶色い菓子の特設会場。男性が皆無な訳では無いが、やはり少数派である。

「ああ、明日は十四日か」
「最近は女の子ばっかりじゃない言うても、やっぱり居辛いですわ」

昨晩妙に硬い表情をしていると思えば言い出したのは強請りごと。出来たら手作りがええ、と小さく漏らされた一言は聞かなかったことにしたものの、せっかくなら一番喜ぶ顔が見たいと思ってしまうのはどうなのだろう。まったくもって、大羽に毒された気分を抱えながら、嶋本は売り場へ飛び込む意気込みを入れつつ、買うつもりは無いが手作りコーナーを見遣っていた。仕事帰りと思しき元特殊救難隊第三隊隊長、現専門官である真田と出くわしたのは想定外も想定外。

しばらく―――少々居心地悪くなってしまったのは嶋本だけだろうけれども―――見合っていた嶋本と真田だったが、通路に男二人が立っているとさすがに邪魔になるので、すぐ近くのエスカレータまで戻り、小奇麗な椅子に並んで座っている。
真田は鞄の他に黒いコートの小脇に紙袋を抱えていた。嶋本の視線の行く先に気付いたのか、反対側の特設会場で古本市をやっているのだと真田は告げる。そう言えば、エスカレーターの昇降口の反対側から、古本特有の匂いがした様な気がしないでもない。丁度下りエスカレーター近くに手作りコーナーがあったのが、嶋本にしてみれば不運だったとすればそうなるのだろう。
自分でやると決めた手前、下手な言い訳等する気も起きぬし、真田が人を笑い者にする人間ではないことなど判りきっているが、一応、間が悪いと言っても間違いではない。

「買わないのか」
「あ、いえ買いますけど、既製品を」

口振りからすると嶋本を待つつもりなのか、それを聞く前に真田はさっさと椅子から立ち上がり、嶋本が躊躇っていた売り場内へ迷わず歩き出す。女性が犇く様子を物ともしない足取りと、どこへ向かうにしろ弦の様に綺麗に伸ばされた背に、真田はどこまで行っても真田だと今更に思いながら、バレンタイン特設会場には異色の黒い長身を足早に追う。女性ばかりの会場へ身体を割り込ませつつチョコレートの並んだケースを見て、数分も経たない内に圧倒された。

「どれを買うんだ」
「―――どれこうたらええんでしょうね」

チョコレートを求める女性も多いが、店舗も多ければチョコレートの種類も多い、会場外から見ている時は人波ばかりに気を取られていたが、今のご時勢当然と言えば当然だ。値段も手頃なものから、このサイズでこの値段かと目を見張る様な物まで様々で、基準がさっぱりであり。立ち止まるのも難しい、華やかな香りの中でやはり男性二人組は目立つのか、それとも真田の容貌が人目を惹いているのか、判じかねるがおそらく両方だろう。尤も当の真田はまったく気に留めていない様子である。ともかく、こう言う時はぐるぐる見て回っていても、直感でも降って沸かない限り疲れるだけだと判断して、嶋本は丁度隙間が出来たガラスケース前へ身を滑らせた。

「しかし、色々な形があるものだな」

嶋本の足の赴くままに隣でチョコレートの並んだケースをのぞいていた真田が、興味深げに漏らす。嶋本が偶然選んだ店は形にバリエーションを持たせた品が特徴なのか、長方形の生チョコやトリュフ以外に、率直にハートの形にプラリネを詰めたチョコレートの詰め合わせや、鈴を模した女性向けとも取れる品も陳列されていた。

「まあ四角い同じ形ばっかりじゃつまらんのと違いますか。去年、ほら、基地長が動物型したチョコレート、基地に持って来てはりましたし」
「ああ、毛並みまで再現してあって中々食べるにはもったい無い気がしたな」

大箱二つで勤務中に回って来たチョコレートから嶋本が摘んだのは、何を意図した訳でも無く百獣の王だった気がする。ご丁寧に口を開けた姿にはしっかりと牙も確認することが出来、確かに手の込んだものだ、だがどうせ胃に入れば同じだと現実的なことを感じた覚えがあった。

「これくらいでええかな―――あ、済みません」

品物と同時に値段に目を走らせながら、あまり長く眺めていると店員に話しかけられるのは目に見えており、さすがにそれは面倒なので―――と言うよりも言い訳がましいことを言うだろう自分自身に複雑になりそうなので―――一年に一度の出費としては、手頃で量もそこそこの詰め合わせに目をつける。嗜好品、特にチョコレートなどと言う甘い物は量などそういらないものだ。栄養補給として考えれば嗜好品では無くなるが、大羽が求めているのは栄養補給ではない。

「これ一つお願いします」
「いや、二つ頼む」

軽く手を挙げてガラスケースの中を指差しながら店員にそう告げた嶋本の声に、同じものをお願いすると聞き慣れ過ぎた声が続いた。

「さ、なださん―――?」

明らかに男性で聞き間違えようもないそれに驚いて、判っていながら改めて発声主を確認しても、当然先程から嶋本の横にいるのは真田しかいない。瞠目して見上げていた嶋本に、片二重の男は少しだけ首を傾げ、不快だったなら別の物にするがと一瞬意味を取りかねる科白を口にした。

「いや、そんなことはありませんけど」

お前が人にやる物と同じものを選ぶのは悪かっただろうか。少々婉曲に回された気遣いに込み上げてくる笑いとは別に、相変わらず真田がただいま現在チョコレートを購入すると言う衝撃から抜けきれていない。

男二人のやり取りを、ガラスケースの向こう側で口を挟まずに品の良い笑みで聞いていた店員は嶋本の了承に、畏まりました、お一つずつでございますね、と頭を下げて嶋本の分と真田の分、二つ袋を準備し始める。同時に懐から財布を取り出した真田に促される様に、嶋本も買い物をする際の反射神経のまま財布の口を開いた。










「懇願されただけではないだろう」

人が悪いとまでは言わないが、悪戯ぽい口調に嶋本は軽く溜め息を吐く。

「……敵いませんね、真田さんには」

自分と真田の手に、にっこりと渡された紙袋を、恥ずかしいとも何とも思わず受け取りながら、その羞恥心を吹き飛ばしてくれた相手に夕飯に誘われていた。大羽も盤の基地で勤務中、帰宅しても誰かしら出迎えがある訳ではないと確認の上の話で、一緒に食べて帰るかと切り出した真田を断る理由を嶋本は持ち合わせていない。ただ、珍しいとは言わないが、意外だと思ったことは否めずにいる。いい歳をした男二人でチョコレートの入った紙袋を手に提げて、誘われた側の案内で同じデパートのレストラン街にある和食屋に入った。
専門官となった真田はともかく、現在特殊救難隊所属である嶋本が一般人並の胃袋のはずが無い。訝しがっていた真田も、嶋本の眼前に最大グラムの豚カツと大盛りになった白飯で納得した。因みに彼自身は規定より少し大きめの豚カツと通常盛りの白飯である。

すぱりと揶揄するでもなく切り出したのは真田だった。

「―――そろそろ認めたってもええかな思ったんです」

いつまで経っても関西弁の抜けない嶋本と同じ様に、大羽も方言が抜けずにいる。ただ一つ、広島弁丸出しの男の一人称が俺になったのは、地元を恥じるなどと言うものではなく、おそらく嶋本の影響を受けたのだろう。

「同じ隊や無いし、や、それは言い訳に過ぎんのですけど。どっかでまだひよこや思おてました」

大羽達が正隊員になってから、新しいひよこ達も当然やって来た。それにも拘わらず、嶋本の中では中々大羽からひよこの念が抜けない。過小評価している訳では無いのだが、訓練している姿を機会を以って見るに付け、成長したと思えどまだまだ一人前には見れずにいた。それは、嶋本なりの己の経験からだったかもしれないし、自分で手掛けた初めてのひよこだったことが一因かもしれず、もしかしたらそれよりもっと別なものだったかもしれない。否、そんなことより何より、己が思いを寄せた相手としてきっと誰よりも認めたい男だからこそ、中々認められずにいた。ただし、認めたら大羽に負けると思っていた訳ではない。

そんな自分に大羽は気が付いていたのだろうか。鋭い顔つきをして中身は結構純情で、それでもやはりその容貌そのままに機微に聡い所があるから、いつまで経っても一人前に見てくれぬ嶋本に、己の不甲斐無さを落胆していたのかもしれない。

「それがね、変な話なんですけど、こないだ俺が準待機の時あいつのとこに出動命令が出て。着替えてヘリに乗って行く後ろ姿見て、今までそんなこと思わへんかったのに」

別段救助の現場を見た訳でも無く、人より一つ上の責任を背負って号令する姿を見た訳でも無い。家では緩む眼差しが、緊張を漲らせて細められ待機室から覚悟と自信に溢れた背で駆けて行く姿など何度か見ている。それにも関わらず、その時、頼もしいと思った。

「大きなったなあて。―――今更ですけどね」
「そうか」

所々で相槌を打ちながら、それ以外真田は黙々と運ばれてきた定食を腹に収める。
ほんま、父親が息子の背中見とんと違うんに、かないませんわ。照れ隠しも込めてそう
言って、困った様に嶋本は顔を歪めた。

「そんな奴がたかだかチョコレート貰うのにこっち拝んで手え合わせて。今まで一度だってそんなもん欲しいなんて言わへんかったくせして、図った様に今年はくれ言うんです」

これも偶然か。その背が頼もしいと思えた嶋本を見計らうかのような絶妙なタイミング。大羽が嶋本の心境の変化に気付いたのか、痺れを切らして強請ったかは知らないが、後者だとすれば、良すぎる間合いが仕組まれている感まで覚えさせる。
おかしいでしょう、と耳の後ろを触る嶋本へ暫し考える素振りを見せたが、真田は否定も肯定もしない。食べ終えた箸を置いて、茶で食事後に残る口内のもたつきを流すと口を開いた。

「大羽なりに、自分で一人前を自負出来るまで言うつもりが無かったのかもな」
「―――そう、なんでしょうね」
「良かったな」
「いえ、まあ……ありがとうございます」

何気なく齎された科白に少し躓きながら、嶋本は違和感の無い程度に返事をする。だが内心で、まさか、真田からそんな科白が聞けるとは、と今日二度目の驚きを覚えていた。これが、大羽も一人前を自負出来ている、などと言った科白ならば驚くことも無かった。真田は昔からこと仕事に関しては誰よりも気を遣いよく見ている。だが、それが一歩仕事を外れ個人個人のプライベートとなれば別で、冗談の様に極端に鈍くなる。自分も変わったのだろうが、この人もやはり変わったと、少しばかり悔しくなりながらゆるりと笑んだ。

「真田さん、柔らこうなりましたね」

昔から誠実な人ではあり、仕事面以外でもその辺に尊敬を抱いていたのだけれど、真田にはどこか押し殺した面があった、一時期副隊長として傍らにいたことでは証左にならぬかもしれないが、黒岩辺りに尋ねたら保証してくれるだろう。おまけに真田の日常の様子が、全く無理をしている風ではなかったから滅多に気が付くことは無かったけれど、折に触れ、表面に僅かに浮き出て来た。誰しも胸に抱えるものはあるだろう、それは悪いことでも何でもないが、どこか氷で固まった部分があった。

「そうだろうか」
「盤のおかげや思うの癪ですけど、歳取っただけじゃ真田さん変わりそうにないですもん」

氷解し始めたのは、最初は気付かなかったけれども今思えば忘れもせぬ、嶋本自身の情人でもある大羽がひよことして研修に来た辺り。それから薄皮を一枚ずつ剥ぐ様に、ふと気付けば幾分氷が薄くなっていた感じがする。
身体能力と精神面が不釣合いだと思う反面、稀に見せる老成感、ひよことして嶋本の前に現れ、無事正隊員として配属された頃の盤の印象はそれにつきる。それ以降は、はっきり言えば嶋本も自分のことで手一杯で気に掛ける余裕が無かった。研修中から関係を持ち始めていた真田と盤の馴れ初めを聞いたことなど無いが、何年経っても想像出来ない。
そんなことを考えて、少し過去へ飛ばしていた意識を戻すと、機械の様だとも一時言われたことのある顔が柔らいでいた。

「傍にいて欲しいと思ったんだ」
「え?」

なぜそう思うのか、いつからなのかは判らない。気付いたらそうだったと、温くなった茶を飲みながら真田は数度瞬く。いつでも前を見ることを止めぬ双眸は、今この場や嶋本を認識しつつも、その実、別の人物が映っているのだろう。

「正直、人に誠実であれとは思って来たが、去って行かれるなら仕方が無いとも思っていた。人の縁はそれぞれで、俺を気に食わないと思う相手に無理をさせて交流を続けるのは互いに発展性が無い気がする」
「あー……まあ、合う合わないありますしね」
「だがそれは、俺にしてみれば配慮を欠かすと言うことなのだろう」

マイナス感情を持たれても構わない、そう言うことだと眼差しが告げる。

「―――そんな風には見えませんでしたし、そんなこと誰も思おてませんよ」

下手なフォローで言ったのではなく、本当にそう思うから、否定を望んでいる訳では無いだろう科白にあえて反論した嶋本に、ありがとう、と温か味のある声が返された。しかし、間を置くこと無く断りが入れられ、黒い眼差しが嶋本へぶつかる。

「己を偽るのではなく、素で接しながら相手を慮る。嫌われたくなかったから、そうしようと思ったのは初めてだった」

目を細めた真田の表情は、戸惑ったようでいて幸せに見えて仕方無い。

「相手に喜んでもらいたい、喜ぶだろう顔が見たいと言うのは俺の我が儘なんだろうが」
「付き合うてたら、普通の感情ですよ」

付き合っていなくとも、好意を持つ相手や友人に多少なりとも喜んで欲しいと思い望むは往々にしてある。濁ったことを言えば、金の饅頭で便宜を願う時代劇の三下だって基本は同じだ。喜ぶ顔が見られると自分自身が嬉しいからと言った理由がそこにあるとしても、受ける側が殊更嫌がらなければ否定すべきものではない。
笑って否定を述べる嶋本の言いに、真田は手に持った湯のみに視線を落とす。返された科白を脳内で咀嚼しているのか―――長い付き合いからして決して珍しい光景ではない―――暫く閉ざされていた唇が不意に、甘い物は好みなんだと動いた。

一つ断りを入れておくならば、仕事でもプライベートでもそれなりに―――同僚内でなら恐らく一番―――付き合いのあった嶋本に、真田自身が甘い物を好んでいるとの認識は無い。何にしろ、きちんと理論付けなどしなくとも、この場合誰が甘い物を好んでいるかなど明らかではある。尤も、真田の頭に今日がバレンタインの認識はあろうとも、日本でならば大概女性から男性にチョコレートを渡す、好いた相手にチョコレートを贈る日だとの覚えがどれ程あるのかは嶋本の知るところではない。
甘い物が好きな盤の為に購入したのかもしれず、感情表現には割りと素直な面もあるから日本的バレンタインを知って購入したのかもしれない。そうだとしても、嶋本と同じ品物を選ぶ辺りが真田なのだろう。大体にして嶋本は、真田がチョコレートを毎年買っているのかどうかなど知る由も無い。真田と同僚圏内では親しい嶋本でも、予測の範囲ばかりが立つ。

「プレゼント、ですか」
「普通なら土産なんだろうが。まあ、明日でなくともこの時季ならばカレンダーとしてはそうなるか」

ただ、傍目には淡々と喋る上司が安らぎを得ていることは確かであり。
嶋本へ向けて、存外相手のことを考えるのは楽しいものだなと微笑みを浮かべた真田が、酷く綺麗に思えた。















単に惚気合ってるのぽいです。

06/02/20
(隣を行くひと収録前)



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