>>押尾さん02+真メグ いとおしい、肩に掛かる重みをそう感じている。夕暮れ時の冷たい空気の中、隊服に使用されている基調色よりも純粋な色で光り輝く、春を間近にした橙色に目を細めた。 余程疲れが溜まっていたのか、本来こんな誰が通るとも判らぬ場所で寝ることを良しとする方では無い程度は知っている。基地建物横、何の為にあるのか判らないベンチに腰掛ける真田の隣に、その肩に寄りかかる様に顔を伏せた青年と思しき姿があった。前髪が掛かり顔は隠されているが、その右前頭部分が特徴的に染まっており、顔の見えぬ人物が誰であるか、判ずることを容易にしている。 丁度所用で基地に立ち寄った真田が、海難出動から帰って一息ついていた盤と、シャワー室を出た場所で遭遇したのが一時間前。ホットの缶コーヒーを片手に、足の向いた基地外のベンチで話しながらいつの間にか言葉を途切らせた盤へ肩を貸して半時間。スーツに皺が寄るかもしれないだろうなどと言うことは欠片も考えていない真田の、コートを持たぬ側の手が眼鏡を緩やかに外すと、俯いていた顔が上がる。たまに頬を刺す寒さを感じる季節、風は吹いて来ない位置で、支給品のジャケットを着ているとは言え寒いのだろう、温もりに縋る様に盤が二の腕に頬を摺り寄せた。 稀にみる長時間の出動だったと聞いているが、ここで寝ていても本格的に疲れが取れる訳ではない。手に持った缶コーヒーを無意識にも関わらず落とさずにいることがそれを証明している。危なげなその缶を眼鏡を持つ手で抜き取りながら、そろそろ起こした方が良いだろうと思いつつ、どことなく惜しいと感じる真田の耳に、頭の上から揶揄するような声が振ってきた。 「捻くれひよっこも大人しいなあ」 「押尾さん」 ひよこと言う研修期間の新人を称する名ではなく、笑いを誘うような言い方には半分温か味が感じられる。丁度真田の頭上にある窓から紫煙を吐き出しながら、目を閉じている青年の所属隊長が顔を出していた。首を捻って見上げると、珍しく―――会話をしていても滅多に合わない―――視線が交差する。要るか、との煙草の誘いには丁寧に首を振ったが、特に機嫌を損ねた風ではない。そう言えば海難から帰って来たのだったかと、隣にいる盤も同じだったにも関わらず失念していたことに気が付いた。 「八管までの出動お疲れ様でした」 「ああ、三隊隊長さんは本庁へ挨拶か」 「嶋本達には迷惑を掛けています」 「そうは思ってないだろうなあ」 一年の海外派遣から帰国して早ひと月。事前に行われていた隊長選出とドラフト会議をそのまま受け入れて、一年前と同じく三隊隊長に就いた真田だが、報告書や帰国の挨拶と言う至極事務的手続きに隊を離れることがしばしばある。呼び出す側もなるべく当直を避けたり、準待機勤務や非番の日に呼ぶ様にしているらしいが、所詮相手はお役所そのもので真田は管理される公僕、そうそう都合は利かない。 海外派遣前もそう言った状況だったが、真田がいなくとも実質レスキューが滞る訳ではない。真田もそれは知っているし、己がいなければ三隊は成らぬなどとおこがましい事は考えもしないが、心情としては気に掛かる。再度副隊長となった嶋本がそれを聞けば水臭いと言いそうだが、彼は見縊られているのでは無いことを真田との長い付き合いで知悉していた。 「お帰りは」 「いやあ、ちょっと煙草呑むついでに遊んでやろうかな程度に」 言い振りからして盤を探していた様であるが、仕事で探していたのでは無いことが、真田に盤を起こすことを躊躇させた。一応尋ねようかと尋ねるより先に、構わんよと押尾の声が掛かる。既に合わなくなった視線は何を注視するでもなく、基地の目の前大分高い位置を走るモノレール付近へ顔を上げた。 「捻くれているのに気にされているのですか」 「ん?」 「起こしますが」 彼曰くの表現をそのまま解釈するなら、話し相手をさせるには盤はありがたくないのではないかと思うのだが、それを押して探していたとなれば本当は何か用事があったのではとも考えられる。起こそうと、盤の肩へ当てかけた真田の手を、押尾が先刻と同じ科白で押し留めた。 「酒じゃないが煙草の肴みたいなもんだ。成る程そこに引っ掛かるか―――神林だっけ、真田さんところの。あれが一直線ならこっちは渦巻き捻くれだな」 「いえ、俺は」 「じゃあどう思う」 「―――捻くれているのでしょうか」 「それは俺の見方だよなあ、まあ俺としてはその捻くれた性質が気に入ってる。真田さんの科白を使えば、気にしてることになるが。ま、そこのところ」 尋ねられてはいるが、無理に聞き出そうとしている訳では無いのだろう。特徴的な訳ではなく至極普通の低い、押尾の年齢に合った声はかえって耳に残る。もしかしたら押尾ならではなのかもしれないが、声だけであるにも関わらずどこか、頭の天辺から足の先までスキャンされている様な気分を覚えることは確かだ。落ちてきた日に綺麗に比例して、釣瓶落としの様に下がる気温に、抱えていたコートを動かぬ身体へ掛けると、肩を竦めた様な気配がした。 素直じゃない、個人主義、ねじくれ曲がり捻くれオレンジひよこ等々、嶋本が何度かそう怒鳴りながら、面倒と言いつつ面倒を見ていることは知っている、それは彼だけの口癖の様なものかと思っていた。だが押尾も同じことを言う。ひよっこ云々は真田が判ずることではないから気にもしないが、一般的にお付き合い中の真田自身盤の何がどう捻くれているのか判らない。 少々判り辛い点はあるが、他人同士なのだからそれは当然だろう。むしろ、何を言いたいのかよく判らないと言われていたのは真田の方だ。それを嶋本へ話のついでに漏らした所、まあ付き合い短いとそう思われるかもしれませんわ、とフォローともつかぬ、えも言われぬ表情を見せられた。確かに機微には疎い方だと自覚している。 丁度一年前近く、海外派遣が決まったことを他のひよこ達より先に盤へ伝えることも無く、その必要も感じていなかった真田は―――結構薄情だったのだと今なら判るのだが―――それでも責められたりはしなかった。副隊長として付き合いの長い嶋本も大概そうだが盤もよく酌んでくれていると思う。 薄情と言い募っても無駄だと思っているのではなく、一個人の中で完結していることに干渉しない性質なのだろう。見切りが早いとも諦めとも取られそうではあるが、それが彼なりの他人の尊重の仕方だ。多分盤は、真田が別れを唐突に、一方的に告げても受け入れる、真田には計り知れぬ心を少しだけ表情に浮かべつつも。尤も、逆に真田が告げられたならば大人しく受け入れることなど出来ようも無い。 「よく判りませんが」 視界に入ってくれていれば安堵する。たまに強い独占欲を見せるかと思えばあっさりとしている所は、言葉を当て嵌めるなら多分かわいい。真田自身が鈍くて、盤も自分の気持ちをそう伝えてくれる方ではないから最初は大分噛み合わないことも多かったけれども、傍らにいてくれれば無条件に嬉しい。寄り掛かってくれているのは、甘えなのだと思いたい。 色々なことがばらばらに思い浮かぶ。要するに傍にいて欲しい。 共に過ごして行きたいと思っています。 そう答えると、それは真田さんの希望じゃないかと笑われた。 「そうかもしれません」 あっさり認める体は真田ならではの部分も大きいが、聞かされた押尾はそれに辟易する様子も見せず、どちらかと言えば驚きを見せる。 「臆面無く惚気てくれるねえ、意外だね」 「何か」 「いやいや、気にするな。邪魔して悪かったな」 「俺の質問には答えて頂けませんか」 煙草も短くなり、俺も帰ろうと真田達が下に見える窓へ背を向けかけた押尾は、珍しく仕事以外で言外に呼び止められる。本当に意外だとは―――自隊の盤からよりも真田の方が盤を気にしていることに―――今度は胸の内だけに隠して、再度窓の下を覗き込んだ。 無関係だが、真田も上ばかり見上げていてよく疲れないものだ。 「ああ、あれな―――捻くれてるよ、今の状態もなあ」 風に吹かれたのか、盤の髪が不規則に揺れる。 ある意味、可愛いと同義語だとでも思っておけばいいさ。もう一度背を向ける前に言って、軽く肩を竦める。首を回した押尾の、ごきりと鈍く凝った音が、開けっ放しだった窓を閉める直前、真田にも聞えた。 「帰らないか」 傍から見れば独り言の様に真田は誰に言うでもなく呟く。応える様に、寝ているはずの盤の瞼がしばらく躊躇いがちに動いた後、ゆっくり現れた茶色の瞳が景色を認識した。同時に、勢いよく寄り掛かっていた肩から跳ね起き、軽い喪失感を感じる真田を余所に素顔で睨みつける。 「……いつから気付いとう」 「そう言うお前はいつから起きてたんだ」 不機嫌そうな盤の声音に真田が同じ質問を返せば、睨み付けていた視線がずらされた。 「起きるタイミングが掴めんかったんやもん。あーもう、恥ずかしか」 薄暗闇の中でも頬が赤らんでいる様が窺え、差し出した眼鏡を掛ける仕草もどこか慌てている。 「不覚ばい……絶対あん人からかうに決まっとう」 仕事を終えて、交際相手の肩を借りて一休み。盤とてそれが嫌な訳では無いが、他人に見られたとなれば恥ずかしいことこの上ない。同期の彼等ならともかく直属の上司では羞恥も倍増する。 しかも押尾は、起きた盤が押尾に気付かれているだろうことを知っていて尚寝たふりをしていたことも、全部お見通しに違いない。一年前、研修を終えて正式に特殊救難隊員として盤が第四隊配属になった時からやりにくい人だとは思っていたが、あの何でも知っていると言う声は結構に遠慮したい。公言はされないと判っているからその点については全く気にはしていないが、それとこれとは別である。 「都合が悪いのか」 「オイ、真田さんのその鈍さが羨ましかよ」 「それは悪かった、今度から寝かさないようにしよう」 「何か別の意味だと怪しかね。や、別に寝かしといてくれてもよかけど」 不覚と言うくせに矛盾している盤に真田が問いをぶつければ、納得気味に、どこか面白そうに声が撓む。溜め息を吐いて蹲りそうになっていた気配は霧散していた。 「隊長に見られたのが不覚なだけやもん。勘違いしようとねえ、らしかー」 ずれた解釈が真田らしいと、一般的にされて嬉しく無いことで低く笑い声を漏らす表情は、頭上の窓からの蛍光灯の灯りで濃い陰影に紛れてよく見えない。これありがたか、と真田から勢いよく離れた拍子にベンチに溜まったコートをぶっきら棒につき返して来る様子は、これまでの経験から判断すると照れているのだろうか。立ち上がって、建物の蛍光灯の恩恵が届かない位置に行かれると益々判じ難い。 さっきの、と小さな声がモノレールが通過する音に紛れていた気がして真田が反復すると聞えていたことに驚いたのか、だがそれを続けることはしなかった。 「何でもなか。着替えてくるけん、ちょっと待っとおてもらってもよかかね」 「―――構わない」 「ならそんな所座っとらんと中入っとればよかと、誰に怒られる訳でもなかばい」 足音が止まり、真田を振り向いたのか、反対側から来たモノレールが眼鏡に映った。盤本人にしてみれば、何でもない一言だったのだろうけれども、惹かれて真田も立ち上がる。こちらに向けられた、黒い背景と同化しつつある背に、馬鹿らしいと客観視しながらも置いて行かれる感覚を覚えた。実際には、盤から考えてみるならば待たせていると言う部分で置いていかれているのは彼の方なので、本当におかしなものだと思う。 盤が言い掛けた言葉の所為だとは思いたくないが、否定も出来ないでいるのは紛れも無く真田自身に違いなく。どこから起きていたのか判らず終いのことに―――正確には、押尾に告げた一言を一応は否定されずに済んだことに―――安堵を覚える自らの弱さに目を瞑って、黒に溶け、蛍光灯が明るく照らし出す室内へあらたに晒そうとする姿を、欠片も見失わぬよう足を速めた。 押尾さん02。真田さんがおかしい感じで、読まれた後は水へ流して頂けると幸いです。……別段前回に布石があるとかそう言った高等技術はありません。 05/10/20 恥ずかしいばかりですが、03との矛盾点を修正致しました。 08/04/18 |