>>押尾さん01+嶋本(配属半年後に捏造)


「判っとうですよ」

耳にすれば即座に誰か判る方言とアクセントの持ち主が、お疲れ様でした、と軽口にも似た声音で言い去って行く。まだ薄いその背中が開けっ放しの戸から丁度視界に映った。
手前に視線をずらせば、去って行く彼の所属する隊長の、私服姿で煙草を取り出す仕草が目に入る。そう言えばこの人は煙草吸わはるんやっけと見遣った気配に気付いたのか、外を向いていた顔が嶋本を振り向いた。

「おう、準待機お疲れさん」
「押尾さんこそ、出動お疲れ様です」

無ければひと月以上、かかる時はそれはもう図った様に二日に一度を狙ってかかる海難出動は、イコール繰上げで準待機から待機に入る側にも心理的な負担を増させる。準待機だからと言って気を抜く訳では無いが、それでも事実だけ見れば二番手だと言うことに僅かにゆとりが生まれるてしまうのは仕方が無いし、それくらいの緊張の緩みは許されてもいいだろう。
出払った第四隊を窓から見送りながら、当たり前だが当たり前でない海難救助の無事を思ったのは五時間前。要救助者全員確保、特殊救難隊にも怪我人無しと言う、当たり前に望まれる、けれど成すには日々の努力を要される結果で彼等は基地へ帰って来た。運搬重量の関係で全員は行けぬ現場に向かったのは、隊長である押尾と、専門を救急にしている隊員に潜水専門の隊員、四人目に嶋本が半年前に四ヶ月掛けて最低限の基礎を叩き込んだ石井盤。その彼が出動して、帰ってきた姿を始めてみた。
無事だったのかとは、盤にではなく押尾に失礼で、ただ去って行った背をもう一度目の端だけで見つめて、心配しているなどと認めたくは無いけれど安堵する。その嶋本の視線に気が付いたのか、閉まっている方のガラス戸に背中を預けていた押尾ににやりと指摘された。

「気になるか」

気付かれたかと嶋本は気持ちだけで眉間に皺を寄せたが、それでも僅かに表へ出てしまったらしい。気にするなと言わんばかりに手を振られる。

「え、あ、いえ……。失礼かなと思いつつ多少は」

教え子とは言え既に他隊の隊員になった者の無事を、他の者と特別に分けて安堵する事は、延いてはその隊員―――この場合は盤を―――を纏める隊長への侮辱にもなりかねない。隊長と言うのは、隊員の力量を把握して彼等と共に出動している訳であり、そこで下された判断はその現場では十割方最良の物だ。盤に任せられないと思えば連れて行かないだろうし、機内で盤に無理だと判断すれば救助へ向かうことを許さない、見ていろと命ずるだけだろう。それが要救助者の為であり、出動した者皆の為である。

「もう半年かあ、早いもんだ」
「本当そうですわ。―――神林もまあまあの三乗位にはなって来てますけど」
「ああ、副隊長は一ノ宮さんだったなあ」

それこそどうにかなるなあ、と言うまでの短い言葉の応酬を、嶋本がその中身の中身まで推し量ろうにも、押尾がどこを見ていて何を考えているのか、付き合いが少ないことに加えて語尾を伸ばす癖でよく判らない。真田もそうだったが、隊長になる人間と言うのはどこか極端だと思う。例えば、過度とも思えるスキンシップをしてくる黒岩に、要所要所で本人は意識していないにも関わらず、他人の人生に酷く影響を与える前三隊隊長だった真田。気付かれない様に僅かに盤を見遣っていただけの嶋本に気付き、それに気分を悪くした風でもなく会話を進めてくる押尾。
何にしろ総じて変な人の感が否めない。自分を卑下するつもりは無いが、一応普通の人間だと思っている嶋本自身は、色々な意味でまだまだ隊長の器では無い気がする。隊長の器かどうかと、その責を全うする気概が無いのとでは別問題だが。尤も、指導を受けたひよこ達からしてみれば、嶋本だって充分癖の強い人間で、あの身体のどこから色々な能力が引き出されているのか首を捻られているのだが、何にしろ己を変人だと思う変人はいない。

「自分の子どもは可愛いもんだ」

手近の足長い灰皿へ灰を落としながら、押尾の視線は空へ向けられている。

「可愛い……もの凄い似合わん感じですわ」

受け持ったひよこは星野を入れても入れなくても可愛いなどと言う表現は掠りもしない。熱心さは認めるがそれがそのまま可愛さに結びつくかと言えばそうでもない。捻った意味で可愛いと言うならば―――要するに可愛気が無い―――丁度当てはまりそうな男を思い付くが、それを目の前の押尾には言い難い。脱力しそうになる嶋本に、お前も吸うかと煙草のパッケージが差し出される。滅多に手を付けないが断るのも申し訳無く、頭を下げて一本抜くとライターを放り投げられた。自分でも良いと自覚している反射神経で以って、取り落とすことなく受け取ると、さすがだなあと低い声音に笑いが含まれる。

「押尾さん帰らへんのですか」
「意外と素直じゃないんだな、嶋ちゃん」

話を切り替えようと無難そうなことを喋ってみるが、呆気なく見越された。

「ちゃん付け止めて下さいよ……これでもええ歳なんですよ俺」

おまけに、何故かこの呼称。この人なりの交際術なのだろうけれども嶋本自身、童顔は自覚すれども自分の年齢を考えると苦笑いが浮かぶ。確かに押尾より、真田より、全六隊隊長で一番年若なことは揺ぎない事実ではあるけれども。

「文句があるなら黒岩さんだな、たまに呼ばれてたそうじゃないか」
「いやもうあの人は……恥を一番知られていると言いますか、いつまで経っても頭上がらず」
「教官の強みだなあ」
「ある面、堪りませんわ」
「ひよこに取ってみれば、親の存在は大きいか」

押し並べてのひよこに並んで、嶋本も研修当初は突っ張っていた。様々なことを教えられ、合同訓練を行う内に一人前と言う言葉が酷く遠いものだと知らされた。それを教えてくれた黒岩には、どれだけレスキューとして一人前になろうとも結局根本で頭が上がらない。確かにひよこから見れば親の存在は大き過ぎる程大きい。そのひよこが今は親になっている、それも力不足の。
開け放されたままの扉から入ってくる、秋特有の涼しく肌寒さも感じさせる風が嶋本の体温を下げた。身震いして、溜め息を紫煙を吐く中に混ぜて押し出すと、片方だけ開いたガラス戸から外へ逃げて行く。一人、昔の記憶に思考を沈めそうになっていた嶋本を押尾の一言が浮かび上がらせた。

「え、あ……めぐ、石井がですか」

レンジャー向きだとのそれに、つい確かめる様に名を混ぜる。

「降下だけなら一人前だ。消防からの転向らしいが、よく手放したもんだ」
「……身体能力だけなら最初から最後までひよこで一番でしたね」

きっちりと限定はするものの、隊長位にそこまで言わせる程なのだからそれは事実に違いない。自分のことではないが褒められていれば嬉しさを感じる。思い出せば、確かにリペリング降下訓練を、地上でも洋上でも上手くこなしていたのは盤で、多分それは消防のスキルだけではなく盤自身の得意な部分なのだろう。それ以上の存在に出来なかったのは嶋本の不徳の致すところであり、それが惜しい。
僅かな言い惑いに嶋本の後悔を、これもまた軽く見越すように押尾が言う。

「まあ、向き不向きってのがあるだろ。纏める奴がいれば脇をしっかり固めてくれる奴もいる」

どこを見ていたのか判然とせぬ眼差しが、今は嶋本へ標準を合わせている。真田の様な無言の圧力がある訳でも無いのに逸らせない。

「顔が呆けてるぞ」
「しまりの無い顔で済みません……押尾さん、もの凄い鋭い人やて言われません?」
「いやあ、それは気の所為、単なる年の功。ま、黒岩さんも言ってたろ、研修では最低ライン使えるようにしてやるってな。捻くれひよこの面倒はちゃんと見てやるよ」

短くなった煙草の先を灰皿へ押し付けて、何かを払うように指先を擦り合わせた。癖なのか、別に思うところがあるのかは嶋本には判らない。だが押尾には嶋本が知れている。

「それもお気付きで……」
「世の中じゃ、可愛気が無いのを可愛いって言うもんだ。気になるならあいつが嫌になる程構ってやってくれ、許可つきでな」
「―――…ありがとうございます」

勝負している訳ではないが完敗の二文字が頭の中を泳ぐ。真田とは違った意味で侮れないと思う嶋本の耳に、初めて押尾の楽しそうに笑う声が聞こえた。揶揄されていたのだろうかとも思わされるが、かえってそれで気持ちが軽くなる。侮辱していると思われないが為に、嶋本が気付かれない様に盤を見ていたことを、この人は何とも思っていない。もし腹を立てた点があるとすれば、多分嶋本が押尾を見縊っていたことに対してで、からかいがあったとすればそれへの意趣返しだ。それも嶋本を励ます形で、頭が下がる程に気持ちいい。少し照れくさくなって笑い返すと、先刻同様気にするなと手を振られた。

「まあ、真田さんも案外その辺がいいのかもな」

そのまま、じゃあな、後ろ背に手を振って紫煙が漂い出している建物外へと出て行く押尾に、何とかお疲れ様ですと声を掛ける。緩む頬そのままに、可愛気の無い可愛い元ひよこの背に続いて、黒岩や真田とは違う意味で広い背を見ながら手元の灰皿へ煙草の先を押し付けた。久々の煙草の味を今更に味わいながら敵わない気持ちいっぱいで、帰宅する為にロッカー室へ向かおうとして足が止まる。

「……え?」

押尾の最後の科白が脳裏に蘇った。

真田さんもその辺が案外いいのかもな。
その辺がどの辺だとか案外が何だとか、それは関係なく、なぜ真田の名前が出て来て、それがいいに繋がるのかが関係ある。あれは盤と真田の関係を知っていなければ出ない言葉だろうが、盤が自分からそれを話すとは到底思わない。しかも、嶋本に偏見は無いにしろ関係は同性同士。いや、もしかしたら真田が相手と言う事で驚くに値しないのかもしれないが、ともかく。

「ほんま、真田さんとは別の意味で侮れんし底知れんわ……」

ついでに言えば、その気の付きの良さをレスキューロボと陰で日向で称される真田に分けてくれればいいかも知れないと、詮無いことを考えて、いい加減涼しすぎる風が入り込むガラス戸から暮れた空を見上げた。















いつも以上に萌えない話で済みません。盤相手なら見通せる感じの嶋本さんを、いいように出来る人……真田さんは意識せずにそう言うことが出来そうなので、初登場の隊長さんで盤くんもこれからお世話になりますし、そんな理由で。……色々な意味で色々な面に申し訳無いです。

05/10/15

最後の押尾さんの真田氏の呼称、反則ですが修正させて頂きました。以降の話と繋がりはありませんが統一したいと思いまして、申し訳ございません。
05/10/28




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