「お前が住めばいい」 「はあ?」 何言うとね、この人。 寝耳に水で、そんな話を自己完結して決めている真田が、彼を知ってから今までで理解不可能な人間に見えた。 「食事中に大声を出すものじゃない」 「そんなマナー持っとうなん初めて知ったばい」 口内に物を含んだまま喋って、細切れた食べ物を周囲に撒き散らしている訳では無いのだから、そう眉を顰めなくてもいいじゃないかと思う。出された夕食で残っているのは盤の小鉢にある里芋と烏賊の煮物だけだし、大体飲み会はどうなるんだと突っ込みたいが、それはそれで食事のパターンだと綺麗にはぐらかされることは予想に難くない。文句は胸に留め、大人しく声を落として何のつもりかとこちらも眉間に皺を寄せて尋ねれば、嫌なのかと答えにならない答えを聞かされた。 「唐突過ぎとは思わんとね」 「だから今言っている」 「旅立ち五日後に控えて何言うとか」 遅過ぎだと言外に告げれば一言、気が回らなくて悪かったと謝られ、それは本心からなのだろうけれども取って付けた感は否めない。盤の言ったことにその場で納得して素直に謝辞を付け加えることは多いが、かく言う盤自身、最初は取って付けていると思っていた。個人的な付き合いを長くする内にどうにか、宥められている訳でもかわされている訳でもなく本音なのだと判った程度である。 それはともかくとして、インドネシア派遣を間近に控えて冷蔵庫やテレビ等の電化製品他日常生活品がこれ程残っている理由はこの提案の為だったらしい。 官舎ならまだ、案外一年間位真田の為なら部屋を貸しておいてくれそうだと納得も出来るが、このマンションは間違うことなき一般民営賃貸住宅で、1DKの広さを有している。1Kでも充分だろうにと思うが立地条件で選んだのか給与の余裕からか、ともかく寝室を別に取れることも突然の来訪者数が少ないと言うことも官舎では無理な話で、故に―――正隊員配属後からである為僅かな期間ではあるが―――結構な比率で盤はこの部屋に世話にはなっていた。だが、それが真田が言い出した理由であれば考え物である。何より経済面として盤にここの家賃は高い、住めばいいと言われても無理な話だ。 「今更解約出来ない、時間が無い」 ひと月前には申し出なければならないこともある。 「それはそうやろーもん……ばってん」 渋る態勢を変えない盤と同様、真田の顰められた眉も緩めらず少々不機嫌そうにも思えるが、盤の頭はその彼の突拍子も無い提案に占められていて理由を察するには至らない。代わりに、何か問題があるのかと言わんばかりに長い指で掴んだ湯のみの茶を口に含む男へ、半眼を向けた。 「あんね、真田さん、オイと自分の給料差知っとうと」 「知っているがそれがどうかしたのか」 「……ここの家賃払ったらオイが生活出来んばい」 嫌味にも聞こえる即答だがこれも本人に悪気は欠片も無い。しかし話している内容は非常に重要なことで、ここの家賃がいくらか知らないが立地条件と広さから見て決して安くは無い、真田にとって痛くも痒くもない金額だったとしても盤にしてみれば痛過ぎる。生活出来ないと言うのは誇張だが、苦しいだろうことは確かで。嫌では無いが経済的に無理で、どうせなら元三隊副隊長にでも貸したらどうだと代替案まで付けると、寄っていた眉間の皺がふいと消え同時に瞳に不思議そうな色が浮かんだ。 「どうしてお前が払うんだ、大体嶋本は官舎住まいじゃないぞ」 「他に誰が払うか教えて欲しいさね」 居住者が家賃を払わないで誰が払うのと言うのか、まさか国が払ってくれる訳ではあるまい。何を考えているのか、むしろ何を考えてそう言う科白が出てくるのか一から十まで話して欲しいと思いながら、飲み込んだ最後の里芋に箸を置いて手を合わせた盤へ、さも当然そうな声が家賃の出所を告げた。 「住めばいいと頼んでいるのは俺なんだから、俺が払うのが普通だろう」 真田さんの普通は普通違うとね、いうか頼む口調じゃなかったばい。 数分前、お前がここに住めばいいと言われた時に覚えた、今までで一番理解不可能だとの感想は、あっさりと二番目に引っ込んだ気がする。芋を飲み込んでいなければ噴出していたかもしれないと、茶を口にする一歩手前の危険な状態で思った。 どうせ、一年で帰ってくるのに引っ越すのは面倒とかそう言った理由なのだろうが、それで血縁でも無い相手に代わりに住んでくれと言う神経もどうなのだろうか。しかも真田本人は住んでも居ないのに家賃を払うなど、彼にしてみれば大きな経済的損失だと考えられる。盤に管理を任せる代金だと言えばそれまでだが、いくらなんでもアンフェアで、金銭に無頓着だと思わないが思われても仕方無い。 「―――断ったら」 「管理会社に迷惑を掛けるが処分して貰うしかないな」 事も無げに言い、切迫感が無いのは盤が断ることは無いと確信しているからなのか。どこからその確信が生まれるのか知りたいと思いながら、実の所盤はその真田の確信に否を唱える理由が無かった。官舎からに比べれば基地にも近く、過干渉を苦手とする盤には同期の兵悟達の唐突な来訪を受けずに済むことは嬉しい。最重要事項の居心地もいい。もし真田と一緒に住めと言われたなら―――確固とした一人の空間を持ちたい盤としては相手が誰であれ―――どうあっても断ったし、それくらい見越している真田も持ちかけたりしないだろう。だが、住むのは盤一人であり、一人暮らしには広めなこの部屋に、官舎から多少の荷物が移動して来る余裕もある。 「……半分は払うと。そうやなかったら住まんね」 おいしい話だが、いくら情人とは言え光熱費以外のほぼ全額住居費を負担して貰うなど、盤のプライドからして御免蒙る。真田の引越しの手間省きと不在中の部屋の管理、盤の官舎と比べれば安穏な人間関係と職場までの近さで、どうにか吊り合いを取れるかもしれない。 名義人が帰って来ない部屋で同棲しているとも考えられそうな折半提示に、真田は少々不服そうに目を眇めていたが、やがて何を考えているのか判らぬ無表情を崩して、それでいいと頷いた。 阿呆らしくて書いてて自分で突っ込んでました。 インドネシアでは住居とか用意されているのだろうし、なら今までの生活空間はどうするのだろう、とか思います。一年て長いようで短い気がします。 05/10/02 |