「待てや、盤
!!
「―――――っ」
「お前な、断るにしろ言い方ってもん考ええ」
「うっさか、軍曹さんには関係なかと」

基地建物から出る寸前の場所、常駐室から大股で追って来た嶋本に盤が返した一言にさすがにかちんと来て、更に口を開こうと、まだまだ細い肩を掴んで振り向かせると、その瞳には先刻の冷めたものとは大違いな憤りと、そして確かに悲痛な色が表れていた。

「好いとう気持ちで見てもらえても、嬉しくなか。本っ当冗談きついたい……っ
!!
「お前な―――」

言い返そうとしていた科白は、盤が言いたいことを理解した瞬間で立ち消える。掴まれた肩を乱暴に振り払う盤を、宙に浮いた手で見送っている様は間抜けだったろうと思いながら常駐室へ戻った嶋本に、先刻好きだと盤へ告げた真田が珍しく戸惑いの表情を向けていた。










「神林、お前ええ加減日々の成果を見せんかい」
「はいっ、済みませんっ」

足も腕も組んで椅子に座っている為に、立っている兵悟から見れば嶋本はいつもよりも小さい、と言うより頭の位置が低い。そのはずなのだが兵悟は腰をこれ以上無い程折り曲げて謝罪とも単なる条件反射ともつかない様に―――むしろその場ではそれしか返事を許されていないとばかりに―――ひたすら謝り続けていた為、嶋本より更に低い位置に頭があった。

「いつまでも石井と口喧嘩しとる暇があるなら身体動かせ」
「済みませんっ」

目を遣る度に他愛ないものから結構な言い合いばかりしている兵悟と盤のどちらに原因があるのか、最初は盤の方にあるのだと思っていたしそれで正解だったのだが、最近はどうやら兵悟からも引っ掛かる様な言い方をしているようである。身体能力がひよこ一で抜群な盤と、入隊時諸々の技術が明らかに特殊救難隊配属には不足していた兵悟、同じ様に口喧嘩に余力を使うにしても、よりそんなことに力を使うべきで無いのは後者に決まっていた。口喧嘩も殴り合いも、ひよこ同士仲良くなる為ならそこそこは大いに結構だが、それで日々の研修を疎かにするとなれば本末転倒である。

黄色い羽毛を白く塗り替えてやってるんやから、研修期間でしっかり立ってくれないと困るんや、盤は盤で面倒やし。
先日のことを思い出しながら胸中で呟いた嶋本が、溜め息を吐きながら旋毛を見せる兵悟から、ブラインドが上げられている為夕日の注いでくる窓へと視線を移すと、件の口喧嘩の片割れが目に入った。

「―――盤」
「え、盤くん?」

苗字と名前、常にどちらで呼んでいるのか判然としない嶋本が呼んだ名に兵悟も床ばかり見ていた顔を上げる。自分の指導者が窓へ視線を注いでいるのと同じ様にそちらを向いて、異口同音に、あ、と口を開いた。

兵悟が目を遣った窓の外に盤だけではなく、尊敬して止まない真田の姿が映る。片方が片方の手首を掴んでいる様を一瞬妙だと思ったのは、ありがちに盤が真田を掴んでいるのでは無くその逆だったからだと、盤が振り払った右手で真田の右頬を叩いたのを見た嶋本が椅子を蹴って室内から出て行った後で気が付いた。

「あの阿呆」

聞こえるか聞こえないかのレベルで漏らされた嶋本の科白の意味も兵悟には正確に理解出来ず、ただ窓の外で真田を振り払って盤が、窓で区切られた場面から退場して行くのを見る。気になる人物二人の事に、自分も嶋本を追って行こうかと逡巡していると、いつの間にか後ろにいた指導責任者の黒岩に調子はどうだと背中を強かに叩かれた。





嶋本が基地を足早に飛び出す、丁度その敷地と道路の境界で、目の前を盤が通り過ぎる。一瞬見たこれ以上無い程眉根を寄せた表情に、考える間もなく体が動いて、通り過ぎた盤の腕を掴んでいた。人の姿自体目に入っていなかったのか、急に掴まれた自分の左腕に驚いて振り向いた盤の視線が嶋本を捕らえる。

「……何か用事でもあるとね」

臓腑から無理矢理絞りだした様な声が離してくれと訴えていることに気付かぬのは余程鈍い人間で、だが嶋本は腕を掴んだまま、盤が来た方向を見た。夕日で逆光になっていて顔の造形は読み取れないが、基地内から見ていたこともあり間違いなくそこに立っているのは真田である。頬を張られた彼は、立ち去った盤が嶋本に捕まっている様を視認しても一向に歩み寄ってくる気配は無い。

咄嗟に盤の腕を掴んでしまったものの、よく考えると、否、考えずとも真田と盤の間のことに嶋本が口を出す権限は欠片も無い。そう判っていても、真田が頬を張られた瞬間、我ながら間抜けに口を開いて、次には目の前の兵悟そっちのけで立ち上がっていた。どうすればいいか等とそんな解決法など無いまま修羅場に飛び込んだ不用意さに呆れる。それでも、僅かに震える盤の腕を離さぬまま真田を見ていると、離してやれ、と低い声が表情の見えない黒い顔から発せられた。命令然とした口調に、仕事とは関わりが無い内容だと認識しているのにそれに答える様に勝手に嶋本の手が緩む。その隙に大袈裟な程強く振り解いた盤が、それでも先程同様走ることなくただ足早に離れて行った。

振り払われるままその背を見送っていた嶋本に、全くこちらへ近付く気配を見せなかった真田がようやく歩を進めて来る。思いの外大きな足音に振り向いた嶋本の前で、普段の冷静沈着な面が僅かに顰められていた。張られた頬が痛む故か、それともそうさせてしまった真田自身が自嘲している為か、だが嶋本は真田が悪い訳ではないと知っている。
手を出した方が悪いのは当然だと言う一般論ではなくて、仮に盤が真田を叩いたりせずに涙を零していたとしても真田が悪い訳ではない。そもそもどちらが悪いと言い切れるものではなかった。

私服に着替えていた盤とは違い、嶋本同様真田は未だオレンジの隊服を身に纏っている。一応仕事時間の真っ最中なので、真田の性格からして望んで私用を挟んだ訳ではなく、おそらく偶然帰宅する盤と会ったのだろう。つい先日までならば喜んで真田に話しかけていただろう盤が、多分に視線を合わせない様にして、頭を下げる程度で横を通り抜け様とした場面が嶋本の脳裏に容易く浮かぶ。

「隊長」
「……一個体として別々なものなのだから理解出来ないことが多いのは当然だと判っているても、存外自分自身では納得出来ないものだな。」

よく言う、頭で理解していても気持ちでは納得行かない、言い分の常套句の様なフレーズだが、よく言われると言う事は、そう言う経験をした人間がそれだけいるという事実に他ならない。最たる判り易い例を挙げるならば、恋人に振られた時だろうか。もう自分のことなど好きではないのだから仕方無い、頭で痛い程判っていても、気持ちはそうは行かない。

「盤は―――」

聞くべきでは無いのだろうと迷いながら口を開いた為に、名前だけの呼び掛けの様な中途半端になってしまったが、真田は意を汲み取ったのか、苦笑を漏らした。

「先日冗談がきついと言われた理由が知りたかったんだが、どうしても教えてくれない」

その場の流れでとは言え、好きだと告げた相手に、冗談がきついばい、と酷く冷たい目で目の前の男がそう言われた場に、何の因果か立ち会ってしまったのでそれは知っている。絶句したのは言われた真田ではなく嶋本の方で、手酷い断り方に室内から走って出て行った盤を追いかけた。何にしろそういう言い方はあかんと言おうとして出来なかったことも思い出す。

「教えてくれないか、嶋本」

お前は知ってるんだろう。

嫌いと言われたらまだ判るんだが、そう困った雰囲気をして夕日を背景に真田は嶋本へ笑みを向けた。己の体面など無視して―――気にならないのだろう―――問える率直さは称賛に値するが、それを弾き出している真田の脳内が盤の気持ちを理解出来るのか甚だ謎である。そもそも、盤の気持ちを代弁してやるつもりは無い。いくら可哀想だとは思えど、言いたいことがあるなら自分で言うべきだと嶋本は思っている。

「いや俺に聞かれても……困るんですけど」

だが、このままでは真田も同じ様に可哀想ではあり、お前なら判っているんだろうと見透かした上での請いに、さわりを外して外堀部分を口にした。大体にして、真田の仕事以外では妙に鈍感なくせに、こっちが読み取って欲しく無いことを不意に読み取れる鋭さは、意表をつかれて困る、より慌てる。

「困るか?」
「や、困るって言いますか」
「本来なら俺自身で答えを見つけるべきなのだろうが、いくら考えても判らない」
「……で、本人に直接聞いたわけですか」
「手荒だったな」

直接訊いたことか、それとも盤の手首を掴んだことか。おそらく後者に違いないが、あの程度を手荒とは言い難く、むしろ盤の方が手荒な対応だった。
何にしろ、真田の脳内標準装備ではいくら考えても判らないだろう。嶋本が一連の盤の思考を理解出来るのは、似たような経験を持っているからだ。そして同じ経験が真田にあったとは、失礼かもしれないがどうにも思えない、とは言え真剣に悩んでいる―――嶋本だって尊敬している―――上司を放っておくのも忍びない。

「……いえ……。まあ、あのですね。隊長が悪いわけや無いんです。で、盤も隊長のこと気味悪いとか思っとる訳やありません」
「同性から告白されたら気持ち悪いと思うが」
「や、それなら冗談きついなんて言いませんて。判っとるでしょうけど……あいつが嫌悪しとんのは別のもんです」

基地の入り口でずっと立ち話をしている体だが、元々人通り等皆無と言わずも滅多に無いこの近辺、不審に思うのは同じ特殊救難隊隊員くらいだろう、尤もこの場面を最初から見ていればの話でもある。
先程までの眩しいオレンジ色の空は紫へ、群青へと変わり夕暮れ特有の風が嶋本の頬を撫でて行く。あと少しもすれば真田の表情を読み取ることは、彼の常に動きの少ない表情筋とは無関係に難しくなるだろう。少しざわめき始めた基地に、交代時間が過ぎたことを知る。誰か基地から出てくればこの話題は強制終了だと真田に言われた訳でもなく感じて、これだけは、と思った。
理解出来るかどうかは横へ置いておいて、真田が盤を好きだと言うなら知っておいた方がいい。

「―――ただそれより、隊長のこと好き嫌い言う以前に、単純にどうしようもなく悔しいんですわ、自分自身と神林が」
「神林?」

どうしてその名前が出てくるのか判らない物言いに、少しだけ目を細めて説明を付け加える。

「隊長、神林のことは結構気にしてるでしょう、やから」
「気にしているのか?」

自分自身のことであるはずなのに、嶋本に尋ねる真田に、盤の自分勝手でどうしようもない、けれど責める気にもなれない心情が胸中に湧く。
真田自身が兵悟を認識していないと思っていても、現実として真田は兵悟をきちんと一人の人間として認識している。兵悟に通常以上の好意を抱いているからでも、佐世保の彼の親友への如く友情を持っているからでもなく、兵悟と言う存在を知らない内に興味を抱きそして気にしている。西海橋が原因か、兵悟の気質故かは関係なく、ともかくそれを真田が自覚していないことが更によくない傾向ともなっていた。

「気にしとるって言うか、記憶に残って思い出すことが出来るって言えばいいですかね」

思う節があったのか瞳は納得を見せるが、だが石井についても思い出せるぞと予想していた反論が返って来た。だが問題は、盤についても思い出せると言うその理由で。

「何でです?」
「好きだからだろうな」

何の躊躇も無く即答出来る所も美点ではあるが。

「せやからです、盤があんなんなっとんのは」

好きになってもらえなかったら、兵悟の様に気に留めてもらえない。
これから先、好意抜きで認めてもらえたかどうかの確証は関係無しに、その可能性を真田に断たれた。好悪などまったく抜きできちんと認めて欲しい、見て欲しい相手に好かれたことを純粋に喜べる人間もいれば、それが悔しくて堪らない人間だっている。盤が後者だったと言うだけのことで、もちろん真田に責は無く、だが、盤の勝手な言い分と断ずるのは嶋本には出来ない。

言えるのはここまでですといった雰囲気を匂わせながらそう思っていると、上手い具合に大きな音を立てて基地のガラスのサッシが開き、何の偶然か話題に少しばかり出していた―――本人は知らぬところで渦中になりそうになっている―――兵悟が私服姿で顔を出した。暗い中抜群の視力で嶋本と真田を見つけて頭を下げる。そう言えば説教の途中で放り出したままだったことを思い出すが、まさか続きを待っていた訳ではないだろう。

「お前まだおったんかい」
「いえ、黒岩さんに捕まっちゃいました」
「明日は休みやろ、しっかり休んで訓練には万全で来いよ」

広島出身の大羽共々中々索の掴めない兵悟には、相手が直接指導官であろうとなかろうと言い返す術は無い。

「わ、判ってますよ。……あの、嶋本さん」
「何や」
「盤くん、帰っちゃいましたか」

なぜかおどおどしている兵悟もそう言えば真田が叩かれた場面を目撃していた訳で、確かに真田本人が目の前にいる今口にし辛い事項に違いない。それで遠慮すればいいところを押して訊いてくるところが兵悟らしいと言えばそうなるが、盤のことを尋ねる位なのだから用事でもあるのか、或いは先程のことが気になるのか、純粋に会いたいだけなのか。
隣にいる真田の反応は判らないが、兵悟を観察しているようだった。

「あーとっくにな。何や神林、用があるんやったら明日にしとけ」
「え?」
「口喧嘩すな言うたやろ、俺に舌の根を乾かす暇を与えてくれ」

本音は今現在の盤が多分一番会いたくない相手だからなのだが、それを考慮して説教に託けた形で忠告している嶋本自身甘過ぎだと自覚していた。ただ、真田同様兵悟にもあまり共感出来ないだろう盤の勝手極まりない事情で、官舎の部屋を訪問して冷たくされるのも哀れな話である。同期だから、自分と同じく真田に憧れているから、それらの理由ばかりではなく、おそらく兵悟自身友情ラインを超えて盤が気になるのだろう。盤に自分から突っかかって行く頻度が高くなったのもその為だ。
口喧嘩数減少要求は私生活でも同様だと含ませた科白に背を垂直に伸ばして、つっかえながらも勢いの良い返事をする兵悟が本当に不憫に思える。

「は、はいっ。真田さん、嶋本さん、お先に失礼しますっ」

綺麗に腰を曲げて走って盤と同じ道を駆けて行く兵悟の背はすぐに暗闇に溶け込んだ。基本的に前向き過ぎるところ一位のひよこだから、盤にこっ酷いことを言われても立ち直るのだろうが、それはともかくまずは真田である。
兵悟がいる間嶋本の隣でずっと黙っていた真田を見上げて、普段と変わらぬ気楽そうな声音で促した。

「俺等も着替えて帰りませんか、交代の時間過ぎてますやん」
「―――ああ」

腹減りましたねえと、先に基地建物へ向かって歩き出した嶋本の後に続くはずの足音は聞こえず、少し距離が空いたところで、よく通る低く耳障りの良い声が嶋本を呼んだ。

「やはり俺は嫌われているんだろうか」

主語がなくとも誰を指しているのか判らない訳も無い。小さく頭を掻いて軽く、明日の天気を答える程軽い声で答えた。

「そこまで俺には判りません、まだるっこしいの嫌なんではっきり言いますけど、好意と憎悪は紙一重ですし。どうなるか、本当盤一つですわ」

好きも嫌いも今の盤には考えられないだろう。

「難しいな」
「……あんま問い詰めんと放っといたら向こうから何か言って来よりますって」

顰めながら笑うと言う器用なことをした自分の顔が、日の落ちた中で真田に見えたかどうかは判らないが、彼が歩き始めた音を聞いて嶋本も、呼ばれて止めていた足を再び基地建物へ向けて動かしはじめた。















色々中途半端なんですが惜しいとか大層なことも無いので……全部まとめて
textに上
げればよかったかなとも思いつつその内自己満足の為にそうした(最初からそうすれば云
々)。嶋本さんがひどく面倒見良く。

05/07/27




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