兵悟くんが報われない扱いになっておりますのでご注意下さい。 「人の趣味なんて判らんもんじゃの」 「それはそうだよね、ま、兵悟の趣味はほら、ユリちゃんだっけ、だと思ってたけどさ」 「でもどこがいいんだ」 「……どこって、……色々?」 赤くなりながら俯いて、上目遣いで星野達を見る兵悟の呟きに、室内にいた残り三人は 大きく溜め息を吐いた。 救急救命士を目指す星野の元へは未だ、先頃やっと特殊救難隊正隊員になれた同期が 集まることが多い。ひよこを卒業しても集まる部屋は相変わらずで、それを家主の星野も 咎めたりしないから丸く収まっているのだが、偶然今現在官舎から、同期の中でただ一 人、正隊員になって数ヶ月でさっさと越していってしまった男の話になった。発端は、恋人 なんていないだろう、一番若い兵悟の恋愛話にある。 「あれだけたくさん口喧嘩しててどうしてそうなるのかな」 「別に喧嘩って言うか……俺も盤くんも真田さんが目標だったし」 それにしても盤から兵悟から、突っかかることの多かったことが嫌でも思い出せる程で、そ れがすべて異動した真田に対することだけと言うのは納得出来ない。星野達三人は、互 いに余程馬が合わないのだろうと思っていたのだが、今の兵悟の告白を聞けば、どうやら 彼の方に限ってはそれなりの、微笑ましいとも言える理由があったことになる。 「最初会った時はライバルだったし、一緒に頑張ろうって思ってたんだけど……」 「それが恋愛になるとはな」 お約束だと言わんばかりの視線に頭を掻く兵悟は、相談に乗って貰っているとの考えか らか、きっちりを正座をしていた。目の前の平机に大羽と佐藤が、部屋の持ち主の星野は 机に備え付けの椅子に座っている。 「ありがちだけど、相手が悪いよね」 コーヒーを片手に身を乗り出す星野に残り二人も頷き。 「盤はこっちでも遊んでる様に見えるが」 「やっぱりそうなのかな……官舎からも引越しちゃったし」 あからさまに肩を落とす様は、訓練中、ひよこ全体を引っ張っていた姿とはほど遠い。 「いっそ盤にはっきり――――――」 言ったらどうか、星野がそう言い掛けた瞬間いきなり玄関が開いた。 「星野君、おるとね?」 人の家にも関わらず、ノックも無しでいきなり開いた玄関から特徴のある方言が聞こえる。 話題にしていた片方の人間の登場に、四人でびくりと震えたことに首を傾げた盤が、在室 かどうか尋ねた―――実際は鍵が開いているのだから在室に決まっているので単なる挨 拶に過ぎない―――星野本人よりも、そこにいた兵悟を見てやっぱりと呟いた。 「ここにおったとね、部屋にもおらんし携帯も繋がらんし、何の為に携帯持っとると」 部屋の主ではなく、自分に用事があったことに兵悟の大き目の瞳が更に大きくなる。 慌てた様にジーンズのポケットを探ると、探るまでもなく薄っぺらな臀部が携帯を持って いないことを告げていた。どうやら帰宅した時に置いて来てしまったらしい。 「あ、う、うん。ごめん、部屋に忘れて来ちゃってた。えっと、何か用事?」 「用事、じゃないばい。忘れ物たい」 邪魔するばい、と今更の様に断って上がった盤の鞄から一枚の紙が取り出される。 「あれ、これ明日提出のっ……。俺持って返って無かったんだ」 「嶋本さんに会わんかったら届けんかったと」 口調から察するに笑顔で脅されたと見て取るべきか、本来なら引っ越したマンションに 直に帰れたものを、わざわざ官舎へ寄らされて面倒極まりない。盤の顔にはしっかりと そう書かれていた。 「ごめん盤くん、ありがとう」 「別によかよ、今度何かおごってもらうばい」 口角を少し吊り上げた盤に、同じくらい少し兵悟の頬も赤くなる。 「う、うん、もちろん」 渋る気配等欠片も見せず、あっさり。 奢らされるくせに、どう見ても嬉しそうに頷く兵悟に肩眉を顰めて怪訝な表情を浮かべる 盤とは逆に、室内にいる残り三人は理由が判るだけに、呆れていいものか、それとも褒 めればいいものか迷っていた。 そんなあっさりと。 忘れ物一つ―――確かに明日の提出を考えれば重大な忘れ物かもしれないが―――で 何か、多分夕飯だろうが、をおごることは不釣合いな気もする。盤と一緒にいたい兵悟か らすれば、ただただ良い機会なのだろうが、恋は盲目の一歩手前なんじゃないかと、口に 出していれば異口同音にそう思っていた。二人に聞こえない様に顔を近付けて、相変わら ず嬉しそうに話している兵悟を横目に小声で話す。 「これで盤が兵悟の気持ち知っとったら計算尽くじゃの」 「それならもっと高いこと言いそうだけどな」 「に、しても兵悟はずっとああいう感じな訳じゃろ。気付かん盤も鈍いのか」 「さあ。けど、口喧嘩ばっかりしてる兵悟が自分を好きだなんて思い難いよ」 確かにそうだ、互いに頷いていると突然機械音が鳴り始める。 「あれ、携帯?」 自分の音では無いことを知っていてもつい確認してしまう。携帯を部屋に置いている兵悟 以外が同じ様なことをして、サブディスプレイも見ずに携帯を探り出した盤が通話ボタンを 押した。 「もしもし」 少し声を落として、星野達に背を向けようとしている盤から応答する声が漏れ聞こえて 来る。 「元気―――、そっ――どげ―――――ね」 ああ、知り合いなのか。ただ普通にそう解釈して白い書類に目を落としている兵悟に話し かけようとしていた最中、驚く声が上がった。 「え、こっちにおると?」 「帰るなら帰るって……や、ちょっと用事があって官舎に」 驚いたはずみか、盤の持っていた鞄が落ち拍子に書類を取り出したまま開けていた口か ら財布や携帯用の音楽機器が床の上に散らばった。屈んで拾おうとしている盤を近くにい る兵悟が手伝う。 「どうしたのかな、あんなに慌てる盤って珍しいね」 星野の言葉に頷く大羽と佐藤も、それだけでは無く、その驚きが喜びから来るものらしい ことが表情から判断して目を瞬かせた。 「オイより先にそっち連絡したとねえ」 拗ねた様な口調も、どことなく甘えている様に聞こえなくも無い。いや、仕方無いと判って いるけれど言わずにはおれない、と言った方が正しい様でもあり、素直に謝られても詰ま らないと吐く相手への溜め息も、単純に会話することを楽しんでいる様である。 屈んでいる為に星野達からはよく表情は見えないが、横顔とはいえしっかり見ている兵 悟は色々表情を変える盤の珍しさに、恋した者特有のあばたもえくぼで見惚れていた。 「はあ!?」 散らばった荷物を鞄に終い掛けて、再度驚く声が先程とは違いトーンを上げる。 「二回も驚いとるぞ」 「相手誰なんだろうね、盤を嬉しくさせるなんて滅多にいないと思うけど」 「親なら喜びやせんだろうしの、仲のええ友達か」 「友達って、普通そんなに喜ぶかな」 「ま、嬉しいじゃろ、地元から離れとるしな」 ひそひそと話している間も、盤の表情は変わり続けている。驚いた後、しばらく相手が 話すままを聞いていたのか、段々と顔が緩まり照れ隠しなのか眉間に皺が寄り。 「…………なあ」 「ん、何、貴充」 「相手……恋人とか」 黙って星野と大羽の会話を聞いていた佐藤の思わぬ発言と同時に、絶妙なタイミングで 盤の頬が赤く染まる。特別な感情を抱くものから見れば可愛いと思わせる程のそれに、 当然ながら兵悟は一気に落ちていた。 「え、嘘、本当に!?」 「何じゃそれっぽいのお、兵悟がやられとるぞ」 「いやうん、だって盤が赤くなってるよ、初めて見た」 「―――ああもう判ったばい、切るとよ。すぐ行くけんね」 最後の科白だけ少し強めに言って盤が乱暴に貝型の携帯を収める。ここが星野の部屋で なければ唸るくらいしていそうな仕草を、電話の頭から黙って観察し続けていた兵悟が正 気に返った。 「盤くん?」 むず痒そうな、少し緩んだ、だが明らかに嬉しそうな顔で通話を切った盤に、横から兵悟が 顔を覗き込む。それには答えずに勢いよく立ち上がって、星野達にはっきり正面を向けた 時には、電話に出る前の顔へ戻っていた。 「都合の良い日があったら連絡するたい、それ、明日ちゃんと出すとね」 「あ、う、うん。嶋本さんにはちゃんと盤くんから貰ったって言っとくよ」 細かい機転をたまに利かせる兵悟に、一瞬きょとんとして、盤自身は無意識に薄く笑みを 浮かべる。誰も予測していなかった笑みに赤くなったのはやはり兵悟で、だが他の三人も 少し薄紅に頬が染まった。嫌味も邪気もない、純粋な表情は普段とのギャップが高い程、 その人物をよく知る程に綺麗だと思わせる。お邪魔したばい、と急いで靴を履いて盤が出 て行った後も、奇妙な沈黙が僅かにその場を占めた。 「どうしたのかな盤くん、ねえ?」 沈黙を打ち破った兵悟の問いに問われた側が戸惑い。 「―――え、いや」 「あんな盤くん、俺初めて見たよ」 「……まあそうじゃな」 嬉しさだけを全面に押し出す兵悟からは、盤の電話相手が盤の特別な人間だと気付いて いるとは思えない。ここで多分あれは恋人からだと言うべきか、それとも十割そうだと判明 するまで兵悟を応援するべきか。数瞬目を合わせて星野達三人は一致して後者を選択し た。 「兵悟、盤が好きなんだろ、珍しいもの見れてよかったじゃない」 「うん。あ、俺この報告書書きに部屋に戻るよ。」 相談に乗ってくれてありがとう、爽やかなまでにそう言って、そそくさと退室して行く兵悟の 背は、それが顔ならば喜色に染まっている。わざわざ持って来てくれた報告書なのだから 平生面倒でも早く書きたいと見れば良いのか。 「健気って言うのか、あれも」 「……多分無駄になるんじゃろうな」 「どんな子か聞いてみたいぞ」 「あの分だと年上じゃ、もしかしたら博多の時からかもしれんの」 「かもね。あ、二人共お茶飲む?兵悟には出しそびれちゃったけど」 「おお、頼むわ」 実家が一番近い分、細々とした所謂嗜好品は星野が一番多く持っており、そう言った物を 同期に分けることが普通になっていた。台所へ向かおうと椅子から腰を上げ、ふと窓の外 へ目を向けると、星野の目に先刻部屋から急いで出て行った盤の背中が入る。 そう言えばすぐ行くと言っていたな、と思い出しながらその背を見続けていると、その少し 先、官舎と歩道を遮っているコンクリートの影から人影が現れた。官舎の敷地の境だから か街灯が丁度その人物を照らし出す姿に、こんな場所に夜だというのに一体誰だろうかと 目を細めると、視界に盤の背が入り込み、同時に人影の口元が笑みを浮かべる。 「―――あの人かな」 盤に電話をしてきた星野達推定彼女なのかと見当を付けるが、どうやら盤よりも身長は 高いらしい。女性にしては高いものだと思って更に目を凝らした星野の瞳に、街灯の下、 己が尊敬してやまず追いかけ続けて来た、半年以上も前に特殊救難隊から異動してし まった彼の人の顔が映った。 「え」 大きく声を上げそうになる所を押さえて、一言だけに済ませる。間違いだろうかと、再度 目を凝らすと、星野自身は初めて見る、どうやらスーツ姿の真田が手を伸ばして盤の頭を 触っている様子が見えた。こちらに背を向けているので表情は知れないが、プライドの高 い盤がそれを振り払いもせずにいる。 「星野?」 「どうかしたのか、窓の外ばっかり見て」 「……」 「おい、星野?」 「―――あ、うん。ごめん、お茶だよねお茶」 きっと兵悟から聞いた消防の時の恩人だからだ、年齢の離れた友人かもしれない。それ よりも真田さんこっちに帰って来てたんだ、俺も会いたいな、盤には知らせるんだ、仲良い んだ。 窓から目を逸らして大羽の呼び掛けに答えながらも、星野の脳内は見た物に整理を付け ようとフル稼働している。取り合えず、大羽にも貴充にも兵悟にも言うまい、それだけは しっかり考えながら薬缶の用意をしてガスコンロのスイッチを捻った。 兵悟くん好きなんですが、本当報われなくて済みません……ギャグはテンポが悪いと 詰まらない典型で……。 05/07/16 |