「いつまでへこんでんねん」

官舎かと思ったら実はそう遠くないマンション暮らしだった嶋本の家で、手を抜いてでも美味く作れる自信のある麻婆豆腐と、都合良く冷蔵庫に保管されていた冷や飯で炒飯を作っていた盤の背中に呆れた様な声が当たった。序でに世間の事情を知る為につけられているテレビから水の事故への注意が聞こえている。因みに、こうやって少しばかり世間とはずれた関係を築く前も後も食事を作る時は交代制で、どちらかが特にいつもと言う訳ではない。ただ朝も同じく交代制で、その前の晩とは逆になっていた。

「何がたい」
「真田隊長や、惚けんな」

元やけどな、とは言わない、だが調理中でなければ蹴りでも入れられそうな程の不機嫌さに白を切れるはずも無く。炒めた、特殊救助隊員には不足の感が否めない量の玉子炒飯を大皿に盛り付けながら嶋本の方へ目線を遣る。いつでもどこでもはっきりきっぱり物を言う―――多分学生時分では先輩に物怖じすることも無かったのだろう―――だがきちんと優しい男は、盤にとって腹が立つことがあっても同じ空間にいると気持ち良い。

「へこんでるのは兵悟君たい」
「あっちはすぐに復活したわ、元々レスキューが好きな人間やからな」

お前も知っているだろうと言わんばかりの嶋本に、やはり話を逸らすのは無理かと小さく溜め息が漏れた。確かに、元来人を助けることに一生懸命で時に自分の力量を無視して救助に向かったこともある兵悟は、一概に真田だけを目指して特殊救難隊へ来ようとした訳ではない。確かに背中は見ていたのだろうけれど、兵悟にとってそれはより大きくなって飛び立って行っただけで、盤自身がいつも衝突しているからこそ誰よりもそれは判る。

なら自分はどうなのか。

「何ね、そんな心配されると気味悪か」

消防から海保への転向を望んだ切っ掛けは確かにあの時、命を失いそうな時に目の前に現れた真田だった。羽田に来たのも、石井盤と言う存在を認めてもらい、追い越して行こうとすら思っていたからで、そうでなければ兵悟のこともそう気にはならなかったかもしれない。同期の癖に自分より真田に認知されている事実がどれほどのことか、どこまで自分が辿り着けるのかの前には塵も等しい。
目標を完全に喪失した訳でもない。

「心配しとるんと違う」
「……レスキューでへまはせんとよ」

侮られた様に思えて顰めた盤の眉は次の瞬間で呆気なく解けた。

「当然や」

間髪を容れず言い切る嶋本に柄にも無く嬉しくなるのは、信頼はともかく信用してくれているのだと判るからで、誤魔化す様に大き目の音を立てて盆をテーブルの上に置く。

「やったら何ね」
「少しはへこめ」
「……言っとることが意味不明ばい」

へこむなと怒られて、へこめと言われて、字面としても耳から理解するだけにしても嶋本の科白は全くの正反対だ。

「憧れて目標にしとった人間がきつい研修終わってみたらおらへんねんで。少しは
落胆するのが人間ってもんや」

それなのに実際は少しだけ驚いた顔に、凄か人やしね、とだけの反応で、大羽や佐藤に目を瞬かせていたことを嶋本は知っている。むしろ兵悟とバディを組めと命じられた時の方が余程信じられないと言った表情をしていた。それまでの真田への言動からして予想外過ぎた反応に、兵悟と違って慰めたり励ましたりする必要が無く返って拍子抜けで、もしかしたら後からくるタイプなのかと思ったが、勤務態度やこうした日常生活を見ていても全くその傾向も無い。

「気付かん内に爆発下限界しとると?」
「そうや、一気に使い物にならへんくなったら困る」

もしくは衝動的に、特殊救難隊の誓約を破りかけない救助をされては困る、そう言う、以前の兵悟の様な馬鹿は不要だ。嶋本にとって真田は尊敬する上司で、最初その姿を見た時には憧れを覚え、一緒に仕事が出来て良かったと心底思える相手だ。だからこそ、寂しさを感じても別の場所で働く彼を笑顔で見送った。

「腹ぐらい立たせや、で、神林と喧嘩せえ」

同隊配属で、配属上は考慮していなかったもののやはり気になるのは口喧嘩の絶えない二人の関係だったのだが。仕事とそれ以外を分けることくらいは出来て当然、だがそれ以外は口出し出来ない。慣れるまで煩いだろうと思っていた新人二人は大人しかった。兵悟も盤も何一つ変わらないが、兵悟が消沈から復活した後も盤が彼に突っかかることはあまり無く、あってもすぐに切り上げてしまう。成長したのかと思いきや、口喧嘩には発展させないくせに、兵悟に話しかけられたり突っかかる時の盤がほっとした表情を見せていることに気が付いた。

突っかかることは日常、それを発展させないのは注目して欲しい人間がいないから。子どもの様なそれに、本人は気付いていない。巧妙に、見えてくれば単純な程の落胆を慰めたいと思ったのは、憧れを抱いていた者同士だからか、それとも居ない人間への嫉妬からか。

否、問うても真顔で知らないと言うのなら気付かせたい、そう思う部分があるからこれは嫉妬なのだろう、自分よりも強い感情で盤に見られている真田に。呆けた顔をして柔らかいはずの豆腐をいつまでも咀嚼している青年の瞳は、明らかに揺れていた。何を口に出して言えばいいのか大分迷っている態でこくりと白い喉が動く。いらいらしているのか、眉間に皺を寄せながら蓮華で茶色い豆腐の皿をかき混ぜている。右から左へとキャスターの声だけが通り過ぎて行く時間が続けられて、漸くぽつりと声がした。

「ずるいっちゃね」

卑怯者呼ばわりの様な科白を吐かれても、嶋本は続きを促す様に落ち着いた色を崩さない。

「何してオイが気付かんこと、気付かれると」

目標は失っていないけれど、自分を見て欲しい人は居なくなった。そんな子ども染みた、だが盤自身を形成する中で結構重要な部分を占めている欲求でもある。

「人生経験の差や」

それが半分、残りは醜く相手にだけ忠実に働く感情だが、それには気が付かないだろう。盤は相手へのベクトルは自分の方が強いと思っている、いつかそうでもないことを気付かせたいとも思うが、取り合えずある意味見っとも無いとも言えるものを今は知らなくていい。かき混ぜていた時に跳ねて頬に現れた染みを嶋本が手を伸ばして拭うと、曖昧な笑みが浮かんだ。

「……落胆して気い悪くせんと?」

少し逡巡した後の瞳には不安が濃く出ている。仮にもお付き合いをしている相手が、違う男のことで一喜一憂されて気持ちよくはないだろう、それを考えての盤の発言に苦笑した。確かに気持ちはよくないが、嶋本自身だって尊敬も憧れも持っているのだから言ってみればお互い様で。

「阿呆か、そんな心の狭い人間違うわ」

大体、本当は捻くれた形で以って心が狭い。
メッシュの混ざった前髪で隠されている額を小突いて、ふと延々流れていたニュースに目を移すと、天気予報が明日の快晴を告げていた。















突発微妙な嶋メグ。兵悟君も盤君も結構がっかりしそうなので逆で……来週どこへ隊長が行かれるのか判るといいな、と思いつつそのままスルーで
100km行軍に行くのかもと……ど、どっちですか!?

変な時間なのにお腹空いて来ました―――麻婆豆腐は市販の使うと5分もあったら出来て便利です。

05/07/07




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