「でね、一緒に―――――うよ」

何かに驚いたり腹が立ったりして言いたいことがあっても、時間が経つとそうでもなくなり、それでも昔はそうでもなかったのだが、消防士になった頃には衝動的に感じたことや、その時言い損ねたことを改めて誰かに言うなんてことは無くなっていた。誰にでも感じたことを話したい幼い子どもから抜け出したのか、それとも気にする程の人間や事項以外はどうでもよくなったからなのか。

何にしろ、この隣で延々と本日の昼食や訓練に関して感じたことを述べている、一つ年下の男にはそう言うことはないらしい。

「メグル君聞いてるの」

パソコンを打つ音に少し咎める様な声が混ざる。

「……煩かね、聞いとるから好きに話したらよかと」

いつの間にやらバディを組まされ、そのお陰だろう、本来一人ずつしか取らない各隊に二人して同時三隊配属にはなったものの、当然最初はどうしてこんな正反対の人間と組まされることになったのかさっぱりだった。否、今もそれは変わらずそう思っている。スタンスが違う事と信頼を互いに置くことは違うから、盤達がひよこ隊時の教官だった嶋本に突っ撥ねたりはしなかったし、それよりも第一最初の目標がおこぼれとも言える形で達成されたことの方に苛立ちを覚えていた。

嶋本達から見ればひよこから一歩抜け出したばかりの兵悟や盤などどれでも同じなのかもしれないが、盤自身として素直にそれを納得出来る訳でもなく。同時に除隊されなかったということはもう一人前の特殊救難隊員と言う事で、目標の人物はいなかったけれども、そこには純然たる嬉しさが満ちていた。

要するにどうしようも無い突っかかりがあり、それを誰かに告げられるはずもなく又そのつもりも無いが、それでも苛立ってしまうのは確かで、こう言う時普段の己の言動に感謝する。端的に曰く、会話が突然で、言い方がきつい。

椅子に座っている自分を見下ろす兵悟の、いつも通りの膨れた顔を見て安心しているのはその苛立ちの所為かもしれないけれども、決して認めていない訳ではない。だがそれを口に出して兵悟だけでなく、誰かに言った覚えも無い。自分だけが知っていればいいことにすぎない。

「メグル君、調子悪いの?」
「はあ?」

きついと言われるし、盤自身でもそうなのだと思う口調に最近は怯むことの無くなった兵悟の口から思わぬことが出てきて、間抜けな声を出してしまった。

「だって煩いから黙っててって言わなかったし。」

いつもだったらどこか行っちゃうのに、とぼそりと付け足されて、おまけにその顔が見下ろしている癖に盤を見上げる様な上目遣いで、機嫌を取る様な仕草が癇に障った。自然に項垂れた頬に手が伸びる。

「いたっ、痛いよメグルく……っ。」

片頬を抓られながらも理解出来る科白を口にするのが詰まらなくて、書いていた報告書に終止の印を付けて、プリントアウトをクリックする。

「報告書書いてる途中に話しかけて来たのはそっちやろーもん、大体兵悟君自分の報告書はよかとね。」

早く書かんと嶋本さんに怒られると、と業と口角と吊り上げて笑うと顔面の不自由なままの兵悟に慌てた表情が作り出された。それもそうで、そろそろ交代の時間、要するにそれ以降は一般的な残業に入る。夕焼け空はありがちに赤く染まって、きっと海は強い反射になっているだろう。漂流した二人を探していた時の様に。

「オイは待たんからね」
「え?」
「さっき夕飯食べに行こう言ったのそっちやろ、健忘症」

全く聞いていなかった訳ではない、返事をしていなかっただけだ。今から報告書を書き出して、交代の時間迄に書き終えるとは到底思えない。海の中でも日常生活でも妙なところで観察力の高い癖に、それを字面にすることが苦手なのはこの半年でよく判った。

「え、ま、待ってよ。出来るだけ早く書くから」

席を立つ盤に縋る様に言う声はどう聞いても情けない。そう言えば初めて会った中華店でもどうにも情けない感じだった。まさか真田を救助した人物だなどと、盤でなくとも誰も思わなかったが、そのギャップがなければこうまで兵悟に気持ちを煩わされることもなかったに違いない。

「本当に面倒たい」

隠す意図もなく呟いた言葉はしっかり兵悟の耳に届いてていた様で、唸って、それでも視線を離さない様子に本当に面倒だと今度は頭の中だけで繰り返した。夕飯のことじゃないと言おうと思ったけれど寸での所で止める。

「デザートは奢りっちゃね」

引き止めていた兵悟を今度こそ放って報告書を持って空の隊長席へ向かった。本人は基地長室へ行ったものなのか、何にしろ不備があれば再提出になるだろうし、再提出を食らう程間抜けな書類を作成したつもりはない。兵悟を待つ間に戻って来るかもしれないし、そうでなければ電話の一つでも掛ければいいだろう。後ろで慌しくパソコンを立ち上げる音に薄く笑みが漏れる。

衝撃的に覚えたこと、言い損ねたことを誰かに言う気持ちが失せたのはなぜだろうと考えていて、結局の所面倒くさいからなのだと判った。


















「メグル君酷い……」

兵悟の奢りとなったデザートを山ほど容赦なく注文して、たいらげた側だけは非常に機嫌が良かった。

「男の二言はいかんよ」
「給料日まで半月もあるのにっ」

兵悟としては、初めて会った時もひよこ隊の時も盤の大食漢程度は知っていたが、まさかここまで食べられてしまうとは思わなかった。いくら訓練を毎日しているとはいえ、兵悟が見ている限りではがっつり食べている盤の身体の構造はどうなっているのだろうか。身長規定ぎりぎりに見える嶋本もそうだが、特殊救難隊は腹の容量も特殊なのではないかと思える。
何にしろ、腹はいっぱいになったし、聞き流されていると思っていた夕飯の誘いも結局は受けてくれて心は満たされたものの、思い切り反比例して兵悟の懐具合が寒くなったことは確かだ。

奢ってくれるなら待ってやると含まれた科白に頷いたことに後悔しない様、兵悟は目の前で頬を緩めている盤の表情を記憶に焼き付けた。















兵悟→盤。メグルはまったく気が付いてません、兵悟君ごめんなさい……。

05/07/05

05/07/06
微修正




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