>>過ぎし日と今故の あまり寝付けないのは、疲労が溜まっている為なのかもしれないが、気になる程では無い。気が付けば、程度だった。 「広いんですね、資料室って」 新しく部下になったばかりの、ハボックよりも若い青年を伴って、資料室へ向う。昼間は解放されている書架の並ぶ室内に、目を瞬かせて興奮した口調で言った。 「慣れるまでは探すのも大変だからな、覚悟した方が良い」 「頑張ります」 ハボックよりも、少し低い身長ではあるが、目線はほとんど変わらない程度でもある。緊張した面持ちで頷く部下に、ハボックも――副官からは、悪気など欠片も無い口調で、中々気付けませんよ、と言われる程動かない表情の中――僅かに口元を緩めた。 ハボックが受け持つ小隊は、市内巡回や警護や実働部隊としての働きもするが、デスクワークとてある。資料室を一人で使用出来ない様では困るのだが、この資料室が、曲者だった。揃えるべき資料は、整然と並んでいることもあれば、なぜか混在がカテゴリーになってしまっている棚もある。 司令部のワンフロアをほぼ占める上に、床から天井に伸びた書架に書籍や資料類が並び、或いは重ねて置かれている。案内板などは無いから、書架に打ち付けられているプレートを見て判断して行くしかないが、昔からのものが溜まりに溜まっているのか、どこに入っているのか分からないものもあった。 中央図書館へ行けば同じ物が整然と並んでいたりもするが、司令部から中央図書館へ行く手間より、早く資料室の使い方に慣れた方が時間の短縮になる。 「ここから下を探して来てくれ。分からなかったら、誰か居れば訊けば良い。俺もどこかに居るから」 「はい、了解です」 一枚の書付に綴られた文字は、資料名だけではなく、こう言った内容の物、と書かれていることもある。後者の場合は勿論、中身を確認せねばならない。初めて資料室を使う部下にそこまでさせるつもりは無く、書付の後半、資料名で書かれた部分を任せた。 資料室は書架ばかりだが、所々、閲覧スペースがある。照明はいくつかに分かれて付けられる様になっているから、基本的に室内は暗い。私語が禁止されている訳では無いが、大声を厭っている雰囲気がある。 部下と分かれて、ロイに頼まれている物、小隊で使用する物と探していると、ふと懐かしい記憶が甦った。 確か、ロイの元へ配属される前、最初の配属先での用事で、ヒューズと初めて会ったのもこの資料室だった。先程分かれた部下と同じく、初めて資料室を使い、膨大な量に溜め息を零していた覚えがある。 探した挙句に見上げれたそこには、似た様な名前の資料が十冊程度、それも書架の高い位置に結構な厚さで並んでいた。尤も、必要だったのはその一番右端のものである。 「――あれ」 だが、木製の脚立を使い資料に手を伸ばそうとしたハボックの目が止まったのは、その隣にあったものだった。丁度、個人的に興味のあった領域のもので、つまり、開いてみたい。腕に嵌めた時計を見て、少しだけなら良いかとそれを手に取り、脚立に腰掛けた。 たまに虫に喰われた跡のある古い書籍の文字を追う。没頭してしまうと時間間隔がおかしくなるが、傍に人の気配があるか無いか位は分かる。 「悪いが、そこの本を取ってもらえるか」 「え――あ、済みません、わ」 だから、突然声を掛けられて、その近さに驚いた。いつの間に、ハボックが気付かぬ間にそこに居たのか、と驚き、拍子に持っていた本が手から滑る。古い本は、扱いにも注意が必要で、高い位置から落とすなど、もっての外とまでは言わないが、歓迎出来ない。思わず身を乗り出し、指で上手く本を掴んだは良いものの、体勢を崩した。 「済みませ――退いて下さいっ」 本を抱え込み、受け身の態勢を取る。だが、身に感じるであろう硬い衝撃は、思ったより柔らかかった。脚立が倒れるかもしれないとも思ったが、その音もしない。 「確かに資料も大切だがな。怪我をする方が問題だろう」 呆れた様な、だが感心を含んだ声音に、ハボックは反射で閉じていた目を開く。覗き込む様に傍にあった深い緑色と、身体に回された温かな温度に、抱き留められたことを知った。上着は脱いでいるのか、シャツ越しの体温が資料を抱えた手に触れる。見れば、その片手は傾いた脚立を支えて、倒れない様にしていた。 「――申し訳ありませんっ」 床に座っている相手から身体を離す。脚立を支え、倒れない様に元へ戻して息を吐くと、もう一度相手に視線を向けた。 「本当に失礼致しました、ありがとうございます」 「いや――急に声を掛けたのが悪かった。気付かれない様にしてたしな」 「え」 「邪魔したら悪いと思ってな」 あまりに熱心に見ていた様だから、と楽しそうに笑う。端整な顔立ちに浮かぶ、人好きのする笑みに、どこか安堵を覚えながら、気付かれない様に、と言った言葉に、ハボックが気付けない程に、上手く気配を消していたのだと知った。 「こちらこそ場所を取ってまして」 上着を着ていない為、肩章で相手の階級が判別出来ない。ただ、おそらくハボック自身よりは上だろうし、何にしても初対面で、しかも助けてくれた相手に同期相手の口調は使えない。敬意を払って口を開きながら、ふと、いつから見ていたのかと思い、同時に悪い予感を覚えてハボックは腕時計に目を遣る。予想通りと言うべきか、結構な時間が経っていることを告げる円盤に、僅かに眉を動かした。 「どうかしたか」 「いえ、何でもありません」 目の前の人物が声を掛けてくれなければ、もっと時間を過していただろう。上官の叱責は当然だが、それよりも探しに来られるかもしれないと思うと、早く本来の資料を持って戻らねば、と思う。 「あの、俺が見ていた棚で、必要なものがあったんですよね」 眼鏡の位置を直しながら立ち上がる姿を目で追いながら、ハボックも立つ。尋ねると、ああ、と言って題名を口にした。 「取りますから、少し待って下さい」 読んでいた本を片手に脚立を上り、口にされた資料を手に取る。降りて渡すと、悪いな、と口元が弧を描いた。再度脚立を上がり、ハボックは持っていた本を納め、必要な資料を取り出す。早く持って帰ろうと思いながら、目の前の男へ再度謝辞を述べ様とすると、それより早く自分の名を呼ぶ声が聞こえた。 「ハボック、いるんだろう。いつまで時間を食っている」 この列の書架の入り口で、ハボックの名を呼びながら近付いてくるのは、今の上司の副官だった。 「初めてで時間が掛かるのは分かるが、見つかった――」 眉を顰めて近付いてくる姿が、ハボックの方を向いていた為に、顔の見えなかったヒューズを見止めて、声を途切れさせる。 「あの、何か失礼でもしましたでしょうか」 「いや、全然」 顔色を変えて足早にやって来た副官は、男に対して丁重に尋ねる。それを気にした様子もなく、男が肩を竦めて答えた内容に、ハボックは思わず出しかけた声を飲み込んだ。 失礼どころか、下敷きにしてしまっている。だが、それを全く口にしない。 「ちょっと資料を探すのを手伝ってもらっていただけだ。忙しい所に悪かったな」 それどころか、ハボックを庇う発言をしてみせた背中に、思わず上げようとした声は、再度副官に遮られる。 「いえ、それでしたら」 安堵の顔を見せた副官の目がハボックを向く。資料はあったのか、との問いに短く返答すると、なら行くぞ、と言い副官は男に対して敬礼をする。失礼します、と言って背を向ける姿に続かぬ訳に行かず、ハボックは言いたいことを抱えたまま、こちらを見た男に、これだけでも、と口を開いた。 「あの、ありがとうございました」 それだけを告げ、頭を下げて副官の後を追う。ハボックの視界が男から外れる寸前、僅かに驚いた様子を浮べた深緑色が、柔らかく細められたのを見た。 「――懐かしいな」 最近、私事だけでなく仕事でもヒューズに会っていない。 懐かしさをそのまま口に出しながら、ハボックは手元に集めた資料を、取り敢えずは、と広めに設けられた室内中央の閲覧スペースに置く。部屋が広い所為もあるだろうが、誰にも会っていない。腕時計を見て、分かれた部下の方はどうなったか、と、思う。誰かに尋ねることが出来るか、もしくはその必要が無ければ良いが、と頼んだ資料が置いてあるだろう書架へ向うと、その入り口付近で立ち止まっている姿を見つけた。 「アルバート、どうかしたのか」 「あ、し、少尉。済みません、まだ」 困った表情でハボックに、一冊だけまだなのだと言う。その題名は、確かに彼が立ち止まっているこの書架に納められているものだが、ここで立ち止まっている理由が分からない。無かったら無かったで、誰かが持ち出しているのだろうが、そうでは無いのだろう。 「どうした、何か」 「あの、多分あるだろうと思った所に人がいて」 尋ねるハボックを遮って言うアルバートに、ハボックは書架の通路を覗き込む。奥の方に見えた姿に、思わず笑った。 「必要な物を取りたいんだろう、怒られたりはしない」 「そうなんですけど、その、怖くて」 アルバートの言いたいことも、気持ちも分からないでもない。アルバート自身は一般徴兵で、陣取っている相手は佐官である。現実的な話、一生手が届かない地位と言えた。 「一緒に来い」 「え、あの、俺は」 引いた腰に、仕方ないか、と妥協案を示す。 「そこから見てるだけでも良い」 あとで呼べば良いだろう、とハボックはアルバートを置いて書架の間を進む。既にこちらに気付いているだろうヒューズに、上っている脚立の下まで近付いて声を掛けた。 「中佐」 「ハボック。久し振りだな」 こんなところで久々に姿を見るとは思ってもみなかった。 辿った記憶の懐かしさより、会えた嬉しさが勝って零した笑みがある。驚く様子も見せず、すぐにこちらへ目を向けたヒューズは、今日は上着を身に付けていた。 「ご無沙汰してます――器用ですね、そんな所で」 脚立の上で、手に持つ資料を取り替えながら必要なことは覚えてしまっているのだろうヒューズに肩を竦めて、ハボックは、どうしたのか、と問うて来る視線に、指で書架を示した。 「そこの資料が欲しかったんですけど」 ヒューズがいる場所より少し下に、ハボックがアルバートへ頼んだ題字が見えている。 「ああ、さっきから視線を感じると思ったがここに用事だったのか」 悪いことをしたな、と笑って、それを取ってくれたヒューズに礼を言うと、視線が、ハボックを超えて書架の入り口でこちらを見ているだろうアルバートへ向けられた。ハボックも振り向いて、部下の名を呼ぶと、恐る恐る、それでもすぐに近付いて来る。 「今度配属されたんです」 紹介の出だしだけを言うと、アルバートが息を呑んで敬礼した。 「セルター・アルバート伍長であります」 「マース・ヒューズ、階級は中佐だ。ハボック少尉の上官のマスタング大佐とは長い付き合いになる」 答えて言うヒューズは、資料を差し出す。 「邪魔して悪かったな」 「い、いえっ。ありがとうございます」 反射で受け取った後、謝られるなど考えもしなかったと言わんばかりに、驚いた顔をして、アルバートは次いで大きく頭を下げる。 「そう畏まらなくても良い」 「はいっ」 普段より大きな声で答える初々しさに目を細めて、ハボックはヒューズへと声を掛けた。 「では、先に失礼します」 「ああ、ロイに宜しくな」 「はい」 頭を下げてヒューズに背を向けるハボックの後ろで、アルバートが大きく挨拶をする声が書架の間で響く。ふと、どこかで常に覚えていた疲労が和らいでいることに気付いた。 最後の書類に目を通して、時計を見上げると通常の終業時刻を過ぎている。珍しく定時で帰宅したロイを見送り、きりの良い所までと片付けた。ハボック自身が、明日は休みであることも手伝っている。これから帰宅して、食事を作って、ゆっくりすれば良い、むしろ寝付けないでいた身体としては、そうしたいのだけれども、何かが足りない。同時に覚える一抹の寂しさに自嘲しながら、悪くないとも思う。 それまで感じていなかったものが急に現れたのは、多分、昼間の出来事の所為なのだろう。 「じゃあな、お疲れ」 「おう、お疲れさん」 机の上を片付け、隣でコーヒーを飲んでいた夜勤のブレダに、立ち上がって挨拶をする。執務室の扉を閉めた場所で立ち止まり、しばらくしてハボックは大きく息を吐き、顔を上げた。 執務室の扉を叩く。 今、大丈夫ですか、と訊ねて顔を覗かせたハボックをヒューズは笑って招き入れた。手に何も持たず、用件があればすぐに切り出す所をそれもせず、第一軍服から私服に着替えた姿のハボックに、ヒューズはソファを勧める。勧められて頷いたものの、ハボックは座るよりも先に、お願いがあるんですけど、と口を開いた。 「何だ」 ハボックからの願い事自体、大袈裟ではなく稀少で、それが司令部内であれば尚更のことでもある。どうかしたのか、と思えば、自然ヒューズの問う口調も和らいだ。そうして、普段とは違う様子のハボックの顔をヒューズは窺う。ここ最近、会っていなかったが、昼間偶然に姿を見た。その時から思っていたが、少々顔色が悪い。尤も、誰もが気付く程はっきりとしたものでは無いが、感情にしろ何にしろ、面に酷く出難いハボックにしては珍しい。 再度、座る様に勧めようかと思うヒューズの視線と、ハボックのそれが合う。 「お邪魔でなかったら、ここにいても良いですか」 少し休みたいんですけど、と控えめな声音と、こちらを伺う色に、ヒューズは思わず口元を笑ませた。 ここに居たい、休みたいとは言葉のままだろう。だが、すでに帰宅する格好で、同じ司令部内とは言え建物の異なるヒューズの元へまで来て、躊躇いがちにそうしたいと言われたのは初めてだった。ハボックが、付き合っているヒューズ相手に、仕事上以外では不必要な接触を極力持たない様にしていることは知っている。けじめなのだと、口にされたことは無いが見当は付く。 「――ここにか」 「三十分くらいで良いですから」 変わらず柔らかな物言いで言うヒューズに、ハボックが答えると、ヒューズの口元が上がった。 「それだけか」 「あ、はい、そうですけど」 予想していなかった短い言葉に、ハボックは思わず首を傾いだ。 それだけ、と言うより、それしか考えていなかったのだから、顔を顰められるならともかく、他の要求を訊かれるなど考えてもいない。分からずに不思議そうに瞼を上下させるハボックに、ヒューズは笑みを深くする。 「いや――構わないが、三十分で良いのか」 確認すると頷く。その、ここまで来るだけで、それ以上は考えもしていないのだろうハボックに、少しばかりの呆れと、愛しさが込み上げた。 「ありがとうございます」 言ってソファに座るハボックに、ヒューズは片付けていた書類を執務椅子から立ち上がる。何か、と見上げてくるハボックに笑ってソファへ座った。 「それ位、定時後でなくても良い」 ハボックがここに来た理由を、ヒューズは分からない。 顔色が悪いとヒューズが思った様に、疲れていたのかもしれず、会いたさが高じたのかもしれず、何か他に理由があったのかもしれない。ただ、滅多に、しかも願い事と言う形を以ってしてヒューズに会いには来ない、甘えないハボックからの言動は、理由等何でも良いと思う。 勿論、ヒューズとて仕事上無関係な人間を室内へ入れられないこともあるが、それを除外すれば、ハボックがソファで休む事位、ヒューズ自身の忙しさとはそれこそ無関係に許可出来る。むしろ、居てくれれば嬉しくもあり、気も休まるのだが、それをハボックへ言った所で、実行はしないだろう。そう言う性質でもある。 「横になるつもりは無いんだろうがな」 座って横になるには充分な広さと幅があるソファだが、ハボックはそうはしないだろう。相変わらずヒューズを不思議そうに見てくるハボックの肩を引き倒した。 「中佐?」 急に伸びて来た手に引かれ、ハボックの視界に応接机の向こうにある同じソファが横になって見える。頭がヒューズの膝の上にある状態に、ハボックが顔を上へと向けると、こちらを覗き込むヒューズが目を細めていた。 「もっと、甘えて良い」 瞬いたハボックに、ヒューズが笑みを浮べた。 「お前が甘えても、負担には思わないし、感じない」 ハボックの中には、常にヒューズが忙しい印象しかない。忙しそうにしている、と言うより、部署柄そうだろうと思っている。思っているだけで思い込みか、と言えばそうでないことも分かっている。 「そう、ですか」 負担でないと言われても、どこかで負担になっているのだとすれば、遠慮した方が良いのだろう。けれど、それは、少なくとも今は出来なかった。 顔を横に向けて目を閉じる。 「頭、撫でて下さい」 寂しいのだと、幼い頃よりも、年を重ねてからは覚えることすら稀になった感情は気付いた時が厄介でもある。放っておけば、薄れるものだから、普段であれば、行動には移さないのに、今日に限って定時後だからと自分に理由を付けて、まだ居るだろうヒューズに会いたくなった。 ヒューズに会えなかったことが寂しいのだと、資料室での短い会話で僅かに満たされた気持ちで気付いた。もっと長い間会えなかったことなどいくらでもあるけれど、止められなかった。昼間、疲労が和らいだと感じたのは、気の所為では無い。会えて嬉しくて、単純過ぎるとしても、だから気が休まった。邪魔になるかもしれないと思った時点で行かない執務室に来てしまったのは、多分許してくれる、と無意識に思っていたからだろう。 それだけで、甘えている。 「急に甘えただな」 笑いの含まれたヒューズの声音は、からかいではなく優しい。 「一番、気持ち良いです」 子どもへされる様に、髪を梳く指が心地良い。寝付けなさが信じられない程、眠気が来る。 「中佐――一つ訊いても良いですか」 「何だ」 ただ、せっかく会えて、こうしてくれているヒューズの状況を手離してしまうことが惜しく、昼間辿った記憶を再度手繰り寄せた。 「初めて会った時のこと、覚えていますか」 「ああ」 間を置かず返された答えに、口元が緩む。 あの時、ハボックが迷惑を掛けたことは確かで、それを言うことも無く、庇ってくれた。後で、副官へ彼の人物について尋ねて分かったのは、ヒューズの名と当時の階級だけで、それからロイの部下として配属されるまで、ハボックはヒューズと会っていない。 ハボックだったな、とロイの執務室で名を呼ばれて、酷く嬉しくて、惹かれた。 だが、それ以降、付き合う様になってからも、あの時のことを訊こうとして機会を逃してしまっている。尤も今思うと、あれはヒューズの性質の表れなのだろう。あれがハボックでなくとも、ヒューズは庇っていた様に思う。 「今日、ちょっと、思い出してました」 「そうか」 聞こえるヒューズの声がぼやけ始める。 「――また、会えて嬉しかったです」 軽い音を立てて髪の梳かれるリズムの良さと、齎される温かさに、眠気に抗えなくなって来ている。きちんと声になっているのか分からなくなった科白に、届いているのだと、同じ言葉を返してくれるヒューズの声が、手離しかけた意識に響いた。 初めて会った時のこと、と言うハボックに、ヒューズも記憶を辿る。 探していた資料の書架の間、脚立の上でページを捲る指以外微動だにせず、本を読んでいる青年がいた。声を掛けて、あそこまで驚かれるとは思っていなかったが、咄嗟の判断は、普段のハボックの機敏さを伝え、おそらくヒューズが突然現れたことに驚いたのだろうと気付く。 腕時計を見て、僅かに顰めた眉に、さぼるつもりでは無いが結果的にそうなってしまったのだろうと思う。その予想通りにハボックを探しに来た上官らしき男の科白に、ハボックを庇ったのは、その態度に好感を持ったからだった。勿論、さぼるつもりでは無かった、と言う前提もある。 だが、それより、咄嗟の判断の素早さに、謝辞を告げる仕草に、ヒューズより僅かに高い位置にある蒼い双眸の煌きに惹かれた。 「ヒューズ少佐、遅かったですね」 「そうか。悪かったな」 今の副官であるロスも、あの頃はヒューズの元に配属されたばかりだった。執務室に戻った上官に対して遅かったですね、とは結構な言い草とも思えるが、ヒューズは気にしたことは無い。 「――ハボック、か」 聞いた名を小さく漏らすと、何か仰いましたか、とロスが瞬きをする。 「いいや。それより、さっきの件はどうなった」 資料室へ行く前、頼んでいた件を確認すると、すぐに書類が手渡される。椅子に座り、素早く目を通しながら、脳裡にある蒼い目を記憶の中へ閉じ込める。 ヒューズの所属柄、こちらから探すことは簡単だろう。だが、そうしたくは無い。不可抗力の、単なる偶然で、また会えたら良いと思った。 >>end 昔の話と、甘えたくなった日。 (08/07/19) |