>>どうぞこれからも(二周年記念ss) 外を見れば扇型をしたくすんだ黄色い葉がちらほら風に吹かれて舞っていた。 「あ」 後一月も過ぎれば年の暮れも間近になり、イーストシティより北東の街々では小雪もちらつき始める。夏の朝は冷たいが、秋冬の朝は起床が辛くなるほどに寒い。朝夕の時間限定でヒーターも稼働し始めた司令部室内、書面に向かったまま不意に声をあげたハボックに隣席のブレダが不審そうな目を向けた。 「どうした」 「いや別に」 自分でも変なことをしたと思いながら愛想笑いで誤魔化すハボックに、ブレダは尚も首を傾げる。書面に向かうハボックの手が動いていなかったことに気付いた訳では無いのだろうが、綴りを間違えた様子でも無い白い紙には気が付いていたらしい。ブレダ自身丁度仕事の区切りが良かったのか、更に口を開こうとする様子に、ハボックは、何でもない、突然悪かったと軽く手を振る。合わせて、まるで助けるかのように司令室の扉が―――ロイがいる執務室の扉とは違う―――軽い音を立てて開いた。 「まったく、こっちもすっかり寒くなったな」 執務室より薄い意扉の向こうに、久し振り、と片手を挙げ鋭い顔立ちに人好きのする笑みを浮かべた、東方司令部内でよく知られている中央司令部の佐官が片手を挙げている。 土産持参がお決まりになってきた彼の手には、買ってきたのか愛妻が作ったのか、それとも自分で作ったのか、何にしろ外れの無い洋菓子入りの白い箱が下がっていた。香ばしい匂いが漂ってくるところを考えると、東部へ来てから買ったものなのだろう、室内にいたブレダ以下―――つまるところハボックを除いた人間の―――何対もの視線が、出張に来た上司の親友より白い箱へ目をやる。尤もヒューズがそれに目くじらを立てることは無く、異口同音に来東の挨拶を受けながらその中の一人に箱を渡した。 「いいタイミングだよな、中佐」 ブレダの科白にハボックが手首に嵌めた時計を見れば、短針が三の辺りを指している。 「そうだな――――――皆休憩だし、俺もひと段落ついたから外出てくる」 「要らないのか、差し入れ」 匂いからして最近出来た店の看板になっているパイだな、と結構甘い物にも詳しいブレダの評に笑う。出来れば残しておいてくれ、と言い残して、ハボックは丁度三分の二まで片付いた書類が鎮座している席を立った。執務室へ続く扉以外、廊下へ出る為の扉が一つしかない司令室から出るには、当然その前で士官と話しているヒューズへ近付くことになる。通り過ぎる間際に、ごゆっくりどうぞ、と蒼い瞳を僅かに和らげ言うハボックへヒューズも眼差しに薄く笑みを見せた。 気付かなかったがそろそろ一年になる。 ブラインドの下ろされた窓際の廊下は、外の光りを気温と共に取り込んでいて暖かい。 連なる金製の薄い板を一枚指で押さえて外を覗くと、中庭の常緑樹が目に入った。紅葉する木々と違ってここの光景には年中変化は無い、変わるとすれば背景になっている山々の春の緑と秋の赤、そのコントラストだけである。日差しを受けて暖かそうに感じられる常緑樹の根元を見ていると、足音も立たなかった背後に知った気配が現れた。 「足音癖ですよね、もう。人の事言えませんけど」 「一度身に付くとな。仕事でも無い限り直しにくい」 調査部の経歴を持つヒューズはそれに見合い過ぎる程の能力を持っている。別段気配を消す必要性の無い今現在でも、身に付いてしまったものはどうやっても直しにくい。ただ一般的に考えて、いきなり後ろに立たれる居心地の悪さや驚きが、一度二度ならいざ知らず何度もでは歓迎されることでは無い―――ともすれば忌避されかねない―――と知っているので、普段は故意に気配を現していることが多かった。逆に言ってしまえば、ヒューズにとって気配を消していることが相手へ気を許している証拠でもある。因みにハボックも、それなりに気配を絶つことに慣れてしまっている側の人間だった。 「軍法会議所では半々ですね――――――いらっしゃいませ、中佐」 冷たいブラインドから指を離し、振り向いて笑ったハボックに、司令部内での隠れた笑みではなくヒューズの相好が崩れる。 「久し振りだな、三ヶ月くらいか」 「確かに以前は紅葉してなかったですね」 「電話越しで業務連絡なら聞いたがな」 ヒューズからしてみれば友人の、ハボックからすれば上司の声の合間に、避けられぬ仕事の連絡に。冷たい受話器越しにヒューズの声が柔らかく聞えたのは、声を聞くことの出来る嬉しさを隠し切れずに、少しばかり滲ませてしまっていたハボック自身の声に応えてくれたのだと自惚れても良かったのだろうか。つい、と伸びて来た手がハボックの頬へ当てられる。押される様にブラインドへ寄り掛かり、ゆるりと撫でられる感覚の心地良さに瞼を下ろして意識を委ねた。 宥めてくれているのか、三月前を懐かしんでいるのか、指先が描く線は温かくこそばゆい。僅かに身を捩ると閉じた瞼の先で笑った顔が見えた。 「笑わないで下さいよ」 「それは失礼」 ハボックが蒼い双眸を露わに抗議すると、合わせてヒューズの手が引いて行く。そのまま先刻までハボックが見ていた窓の外を、同じ様にブラインドの隙間から覗いた。見える景色はハボックと変わらないだろうけれども、ヒューズはそれを見て同じ事を感じる訳では無 い。 だから、覚えてくれていて欲しいとは思っていない、言ってしまうならばハボック自身も不意に思い出したに過ぎない。ブレダに不審がられたのは、舞い散る葉に呼ばれた思い出が舞い上がり、意外さにどきりとしたからだった。 「さっき、ブレダに変な顔されました」 そう切り出せば、指はブラインドから離れ外を見ていた視線は簡単にハボックへと焦点を変える。 「ん?」 「ほら、急に何か思い出すってことあるでしょう。あれと同じで、ふっ、と気付いたことが あって、つい声出しちゃったんですよね」 「ああ―――電話切った後で、言い忘れがあったことに気付いたりはよくあるな」 脈絡の無い科白に可笑しな顔をすることも無く、ヒューズは彼自身の経験で相槌を打つ。同意を求めはしたものの、気の回るヒューズのこと、滅多にそう言ったことは無いだろうとハボックは思っていたのだが、どうやらそうでもないらしいことに存外な程驚いた。 「中佐でもそう言うことあるんですね」 「当たり前だ」 物忘れくらいする。 暗に含まれた科白を揶揄するかに笑ったハボックの表情は、それなりに悪戯ぽく見えたものか、ヒューズは呆れた様に肩を竦める。謝るハボックに、両手を肩の辺りで左右へ開いて気にしていない旨を伝えたヒューズが、不意に涼しげな顔を形作る瞳を片方細めた。 「気付いたこと、当ててみようか」 「え―――」 至極楽しそう、そう言ってもいい。それがまるで子どもの様だと気付いたのは―――ついでに言えば上司のロイも似た顔をすることに笑ったのは―――幾度ヒューズに会ってからだろうか。 「そろそろ一年目、だろう」 尋ねられたハボックが瞠目してしまった様を心底楽しそうに口の端を吊り上げて、ヒューズは手を伸ばしてくしゃりと金糸の束を撫でる。珍しく驚きを露わにした状態を保って瞠目したままのハボックへ、気付けと言わんばかりに、半開きの口を軽く塞いだ。 体温の移る感覚に、これもまたハボックからすれば滅多に無い反応と言うべきか、瞬時に頬を染めて口元を手で覆うと言う初々しさを見せる。周囲に誰もいないことを承知の上での行為と判っていても、蒼い双眸を揺るがせ、つい視線を迷わせる様は純粋に可愛らしい。 ヒューズの視線に居心地悪そうに半分だけそっぽを向いた。 「……中佐、もしかして大佐の昇進日とかも覚えてますか」 「まさか」 気恥ずかしさから僅かに拗ねた気配の眼差しを、ヒューズがするりと受け流して科白の意図に乗るとハボックは安堵した雰囲気を醸し出す。その目が束の間、前触れ無く遠くなった。呆けているのではなく、ヒューズを見てはいるが、どちらかと言えば胸中は邂逅を愛おしんでいると言った表現が正しいのか。髪と同じ色で眼差しを彩る睫を僅かに伏せ、ハボックは躊躇いがちに薄紅色をした唇を動かした。 「正直―――貴方と一年近く続くなんて思っていませんでしたけど」 唐突な上に結構失礼だとハボック自身で思う科白に、ヒューズの深緑をした面積が少し広まる。だが、一年も続くだなどと予想外のアクシデントに過ぎる、そう取れる科白の字面とは裏腹に、現実には責める口調でも無く単純な感想を述べただけの、後悔する訳でもない声音に意味を掴んだのか。不機嫌に詰め寄るでもなく、ヒューズはハボックにも判らぬ程の寂しさを浮かべて笑った。 「自惚れてもいいのかね」 短く鼓膜に届いた声音はいつもと変わらない。けれども。 感情表現が多少オーバーに見られるヒューズだが、実の所大概は演出だがそれが堂に入っているから誤魔化される。それはハボックが何年か前にロイから聞いて知ったことだった。熱い人間に見えるが実際は私よりも余程冷たい、そう聞かされて、中佐と少佐は―――昇進前、一つ下の地位の頃の話で―――外面と内面がひっくり返ってますねと応えたことを覚えている。足音を消すことと同じ様に演出が身に付き過ぎてしまったのか、下敷きになっている感情は偽りではないが、あまり感情の見えぬものの向こう側もあるのだと、知り合って親しくなって、やっと知ることが出来た。 いつもと変わらぬ声の温度に僅かに見える自嘲に、ハボックは蒼い双眸を狭める。そう言えばそのロイに、お前達は似ているな、と、笑われたのはいつだったか。 「中佐」 普段はそうそう感情を表に出したりはせず、出すとしてもどちらかと言えば意図して作ったものが多いハボックではあるが、ヒューズといる時に限り度合いが薄まる。全体的に柔らかくなると言えば丁度いいかもしれない変化そのままに、ハボックは頷き、感情を薄く笑みを乗せて表情へ露わした。 「一年も、同じ誰かを見続けさせて下さって感謝してます」 ヒューズをハボックは当然嫌いではない。むしろ真逆以上に募るものがあったから批難を承知でヒューズと時を共に過ごしていた。けれども全く不安が無かった訳でも無く。 もしかしたら途中でこの関係に自分が根を上げるかもしれない、反対にヒューズから別離を切り出されるかもしれない。不安定な状態で過ごしてきたおよそ一年、今はもう前者は無いと思っているけれど後者に対する覚悟は捨てられないでいるし、持たずに付き合って行ける程楽観的にはなれなかった。 ヒューズを信じていないのかと問われれば、否とは言い切れないから是と頷けてしまうし、それはヒューズも気付いている。気付いているのに受け入れてくれているから、中途半端な気持ちでいることを咎めずにハボックがヒューズを望むことを認めてくれているから、感謝している。 「ありがとうございます」 僅か前まで撫でられていた頬に自分の手を添えて笑うと、ハボックの仕草に目を細めていたヒューズがやんわりと首を振った。ヒューズより色素の薄いハボックの手に、先程まで伸ばしていたヒューズ自身の手を重ねる。そのままするりと後頭部へ滑らせ、乱暴にならぬ程度に強く己の肩口へ金色の頭を引き寄せた。 「俺の方だ、それは―――拒まないでくれて感謝している」 酷く真摯な声に身動ぎしてヒューズの顔を見ようとしたハボックを、予想外に力の込められていた手が阻む。抗うことも出来たけれども、そうする代わりにハボックは首を振った。 動作は当然振動を伴い感覚を伝い引き寄せているヒューズへ届くが、それだけでは足りない気がして、ハボックは自分の腕をヒューズへ回す。違う、と否定したいのに否定出来ない。欺いているとも取れる心情を受け入れてくれているヒューズに感謝されるなどとんでもない。けれど、ヒューズとハボックが関係を持つに辺り、良いも悪いも抜きにして、その事だけを考えて重荷になる物はヒューズの家族に違いなかった。実際、貴方には家族がある、と、そうヒューズへ言ったのはハボック自身だ。 「ハボック」 「俺だって、ずっと感謝しています」 指先に篭る力はいつの間にかヒューズへ縋っている。 「ああ」 「――――――これからもさせて下さい」 「喜んで」 ぽんぽんと、あやすように軽く背を叩き離れて行く手に、自然ハボックもヒューズから身体を離した。声が喉元で止まりそうで、何と言えばいいのかハボック自身判らない。何とはなしに、もしかしたら泣きそうになっていたのかもしれない自分に気付いてばつが悪くなった。あからさまに視線を逸らし、ブラインドに塞がれているにも拘わらず窓の外を眺めるふりをしたハボックの肩へヒューズが軽く手を乗せる。 「もう無くなってるだろうな、パイ」 戻ろうと促す声は柔らかく優しい。 「―――ちょっと残念ですね、まだ食べたこと無いんですよ」 「買って帰るか」 笑って、普段ならしないだろう、ハボックの肘辺りを取って司令室へ戻ろうと歩きだすヒューズの温もりに自然と笑みが浮かぶ。ふと、何の確証がある訳でもないのに、もしかして、そろそろ一年だとヒューズも気が付いていたのかもしれないと思った。覚えてくれていなくとも、その気持ちに間違いはないけれど、もし覚えて、気付いてくれていたら嬉しいと感じるハボック自身がいる。今度は自覚出来る程に込み上げて弛みそうになる涙腺は、到底誤魔化せそうに無かった。 >>end 手を付け始めたのは去年の勤労感謝の日だったのですが、いつの間にか一月でした。 嬉し泣きなのかと思いながら。 大分ずれましたが二年目を迎えさせて頂けましてありがとうございました。 (06/01/15) |
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