温かい。
あの頃はどうだったかと視線を彷徨わせて考える間に、横の辺りの髪を、長い指が梳いて行く。促される様に思い出した出来事に、すぐ近くにある双眸を見上げて言葉を紡ぐと、手がすいと、頬へ添えられた。
「愉しそうじゃねえか」
「んー、最近行ってねえけどな」
行くまでが、身体に辛くなってしまっているが、山奥の滝壺などそんなものだろうとも思う。当然山の中だ。頬へ触れて、耳へ当たる指先が動くくすぐったさに首を傾ぐと目許に唇が落ちて来た。
胡坐を掻いた足の上に、リクオは鴆を真向かいに抱き上げて、重いとは眉にも表さない。実際に重たくないのだろうし、多少の重さは心地良いとすら言いそうな男でもある。足の間に、端坐を崩した様な体勢で収まる鴆を、愉しそうに見て来るのはいつものことだ。黒緑の羽織が、畳の上で蹲っている。
「あと、結構牛鬼のとこも涼しかったかな」
何の話からだったか、夏場の暑さを、昔はどうしていたのかと言う話になった。薬鴆堂は、本家に比べれば夏も冬も過ごし易い場所にあるが、それでも暑くも寒くもある。だから散策がてら、滝壺の近くに涼みに出かけたりしていたが、近年、行くまでの暑さも増して来ている上に、己の体力も低下していて、屋敷で水浴びをしているだけの方が多くなった。
「まあ、今年位は行って――」
たまには、今夏くらいは頑張って見に行こうかと言い掛けて、障子の向こうに、普段より僅かに大きな側仕えの足音が聞こえる。リクオから障子の方へ視線を遣ろうとすると、鴆の腰を抱く腕をそのままに、頬に触れていた手で、頭を抱き寄せもするリクオは、その両方の手に力を込めた。
「連れてってやるよ」
「気持ち良いぜ、綺麗だし」
障子の向こうに膝を着いた側仕えの存在を承知であることは言うまでもなく、リクオが全く気に掛けないのもいつものことだ。だから、鴆も気にせずにリクオを見上げたまま答えている。
ただ、元々薬鴆堂の者達は、主がリクオと共にいる間、滅多にこの座敷に近付いたりはしない。酒や急患程度で、そのどちらも、前者であれば静かに、後者であれば遠慮なく声を掛けて来る。
そのどちらでもない今、一体何なのかと思う内に、別の二組の足音と、その足音が持つ珍しい気配が、薄い建具の向こうで止まった。
「鴆様。リクオ様に来客でございます――京の」
外の声がそこまで言った所で、リクオの瞳の色が、思い出した物に変わった。鴆の髪を梳きながら、鴆の代わりに短くいらえた百鬼の主の声に、側仕えのものではない、幾分力の籠った手で障子が引かれる。
この屋敷には、人は訪れない。
正確には、薄く張っている結界で、訪れることが出来ない。例外は、人の血を引くリクオ位だ。だから、この気配は滅多にない程に珍しい。
「オレは貴様に、今日行くと文を出してやったはずだがな」
嫌で仕方がないとばかりの表情を、整った容貌が浮かべている。黒い髪に、同じ様に黒味の強い瞳が強い光を放っていた。渋い藍色の着物と、黒い外套が、見た目の鋭さを更に際立たせている。
「悪い、すっかり忘れてた」
鴆を抱き締める手に力を込めたまま、リクオは言葉程に反省する素振りもなく、いつかの夏の日に見た陰陽師を見上げる。
「今度からてめえがこっちに来い」
「ゆっくりしてけよ、本家に泊めてやるぜ」
「妖を減らす良い機会だな」
鴆は、リクオ程にこの黒髪の陰陽師と付き合いはない。
顔を見たことはあるが、それは襲名前のリクオが京へ赴いた際と、そのおよそ一年後、どちらも戦いの最中だった。そして、その後ろにいる薄い金色の長い髪の青年には、更に縁がない。砂色の着物と、これもまた色の薄い白緑の羽織で、ほとんど色素が無い青年は、気配同じ程薄かった。
この二人について知っていることと言えば、二人とも陰陽師で、黒髪の青年の方は、妖を忌々しい物だと考えていると、その程度だ。実際、それが彼の信条なのだろうが、一時期、協力関係にあったことがあるのだろう、今剣呑な気配はない。
促されるよりも先に座敷へと入って来た二人は、鴆とリクオの斜向かいに坐す。
「で、何の用事だったか」
「本気で言ってんなら、以後温い付き合いはしねえ」
この場で斬る勢いだが、それは本心でありながら、多分しない。必要であれば、いくらでも偽りを述べることの出来そうな男だが、リクオとは、そう言った在り方を、おそらく望んでいない。
鴆を膝の上に抱き締めたままでいるリクオに、黒髪の青年は、妖といること自体への嫌悪を覗かせながら、どこか清々しい雰囲気だと思う。元々は、こちらの気配なのかもしれない、と、つらつらと考えていた鴆の頬に、リクオの手が触れ、陰陽師を見ていた視線を己の方へと向けさせた。
「ゆらのことだろ。心配しなくっても、仲良くやってるぜ。本家で見ただろうが」
妖を知る為に、と陰陽師の次代当主と期待されている少女は、現在、百鬼の主であり、昼の姿とは友人でもあるリクオの屋敷へと、半年と言う期間を区切って滞在している。
「雪女と仲良く菓子作ってやがった、あの阿呆が」
話している間に、側仕えが茶を持って来る。
頬から離れたリクオの手に、また二人の方へ目を遣れば、二人共、茶に手を伸ばす気配はない。
黒髪の青年の方が、口を付ける素振りがないことは分かる。リクオが、鴆で手が塞がっていて手を付けられないことも分かるが、黒髪の青年より、少し鴆達と距離を取って坐す金色の青年はどうなのか、よく分からない。
透き通る様な肌に、赤っぽい色の双眸で、リクオや黒髪の青年とは違う趣の秀麗さだ。そして、薬師の側として、何だか気に掛かる。
「怖いおにーちゃんとは違って、良い子ちゃんな妖もいると思ってるからな」
言って、リクオは鴆の額へ口付ける。鴆が感じたことを理解したかの様に緩んだ手に、心の中だけで肩を竦めた。
「なあ」
眉を顰めた黒髪の青年を余所に、初めて声を出した鴆が、自分に向けられているとは思っていないのだろう、伏せ目がちに黙ったままの赤い目の青年に、鴆はリクオの膝の上から手を着いて抜け出す。
膝と両手で、金色の髪の方へ近付くと、ようやく瞳が鴆を見た。
「こいつ、借りて良いか」
主導権のありそうな黒髪の陰陽師の方を見て問えば、片眉だけが器用に動く。肯定だと見て、赤っぽい双眸へと視線を向け直せば、己を余所にした遣り取りに動じるでもない。
鴆が手を伸ばして、その手首を引いても、振り払うこともない。そのまま鴆が立ち上がれば、素直に従う青年は、鴆と同じ位の背丈で、鴆と同じ様に薄い身体で、手首も細かった。
「じゃ、ごゆっくり」
大人しく鴆に手を引かれるままの青年を連れて、残る二人を置いて障子を引く。一言も発しなかった黒髪の青年が――普段、この金色の髪の青年に温かく接している様にはまったく思えないが――その切れた双眸にほんの僅か、金色の青年を案ずる色を見せていたことに、悪い関係ではないのだろうと思った。
花開院当主代理から、次期当主の様子を、預けた妖から直に聞けと言われれば、面倒でも仕方がない。他に手があれば、勝手にそちらを選ぶが、確かにリクオがゆらのことについて、あの屋敷の中で一番よく知っていることは確かだ。
文を寄越したにも係わらず、主不在の屋敷に滞在するつもりなどなく、早々に休みたいが為に、主が居ると言うこの屋敷を訪れれば、人前であることなど一切考慮せずに、互いに照れることもない妖二人に、本家でリクオがここにいることを教えた妖が、言い難そうな表情だった理由を知った。
「人にも、綺麗な顔のやつがいるもんだな」
見るのは三度目だな、と言いながらまるで、己は人ではないかの様に、金色の双眸が愉しげに紡ぐ。
否、事実、完全な人ではなく、その血には四分の一ほど妖の血が混ざっている。それはつまり、この男の父親は二分の一ほど妖であったと言うことだが、この男の様に、昼夜で人格が入れ替わるものではなかったらしい。
尤も、式神である秀元が、笑いながらしていた話だから、どこまで真実で、どこから虚構なのか、知れたものではなかった。
「てめえが妖だっつー自覚があって何よりだ」
「この目で人はねえだろ。まだ鴆の方があるな」
なあ、と金を笑ませる。確かに、人に金の双眸はない。それこそ、言う通り、今し方秋房を連れて行った、酷く儚げで綺麗な容貌の、男であるのだろうに華奢な身体が持っていた鶸萌黄の方が、人としてはこの国の外でよく有る。
そう言えば、秋房とは異なり、あの妖は、以前己が見た時と、儚げではあるものの、受ける印象が違った。
「あれは、変わったな」
「ん?」
以前は、京で初めて見た時、その一年後に見た時は、明らかな死人の顔だった。
妖が病と言うならば、竜二としては歓迎だが、どうやらそれ以上、生来の物であるらしい。鴆と言う、大陸に棲んでいる筈の妖は、虚弱で短命だと文献にもあれば、秀元の言でもある。
寿命が近いのだろうと思っていたが、延々、この男の膝の上に乗せられて顔色一つ変えていなかったあの瞳には、生気が宿っていた。
「ああ、治った」
竜二の示した科白を、欠片も過たずに捉えたリクオは、事も無げにさらりと言う。
「言葉は正しく使え」
己が言うには失笑だが、今の科白は間違いだ。
治る筈がない。
虚弱も短命も、それが、妖の生来のものである限り、治るとは、妖のその存在の在り方を否定する様なものだ。人である竜二ですら知っていることを、妖の主である目の前の男が知らぬ筈がない。
治った、とは端的に言えばの話なのだ。
「オレが回復させてるみたいだな」
「どうやって――いや、いい。喋るな」
今は実妹を預けることまでしているが、基本的に、妖は消滅させるものだと言う考えは、己の中で微動だにしていない。治すなどと言う方法があっては面倒だと、答えは返って来ぬことを承知で問い掛けて、己で制した。
この男は、治癒の力を持っていたと言う姫の血を、その身体に継いでいる。戦いの最中で、その力を発現させることはなかったから、血が薄まって使えぬものになっているのかと思っていたが、違うのかもしれない。そうだとすれば、今後益々薄まって行くのだから、気に掛ける必要などはない。
だが、制したのは、別の理由からだ。
「聞きたいなら教えてやろうってんだ、遠慮するな」
「要らん」
「珍しい」
おかしそうに口許を緩める男を睨んで、ようやく出された茶に手を付けた。妖の屋敷で出されたものに、手を付けたいとは思わないが、秋房を任せている以上、今更だ。
ここの所、否、新たな破魔刀を作り上げ、蘇った半妖を消滅させた頃から、秋房は、体調を崩している。それが、治らない。
仕事はこなしもすれば、会話も出来るが、生気に乏しい。鴆と言う妖とは、まるで逆だ。
竜二よりは秋房を知る雅次から言わせると、精神的なものが身体に影響しているのだろう、との、ありきたりなことだった。
仕事に影響がなければ、竜二としては問題無いのだが、いつまでも生気のない状態で在り続けることなど出来ない、いつか埋もれて行く。ただの人であれば竜二は気にも留めないが、秋房は別だ。それは、竜二の癇に障る。刀を作るものとしての稀有な才能、陰陽師としての力、次代を支えて行くに、必要な力だ。
それを案じていると言うんだ、とは、雅次の言だった。
何が理由で、今の様な状態になっているのか正確に分からないから――陰陽師として在る意味を求めている様に感じているのは、竜二だけらしい――精々、強制的に刺激を与えようと、たまに、魔魅流の代わりに連れ歩いている。
目の前の、百鬼の主としてある男に、宝の様に大切に扱われていた整い切った面が、秋房を見て何を思ったのか、何であれ、適当に刺激を与えてくれるならそれで良い。妖の薬師だと言うから、何かあるのかもしれないが、何でも良い。
秋房は羽衣狐との戦い以降、竜二より妖に対して寛容になっている。更に、今の状態の秋房など、何の危険もないから、リクオとて、陰陽師と二人きりにさせることに、何を案じてもいない。
人前でも変わらぬ態度に加えて、あれだけ愛しげに名を呼んでいるのだから、関係など、一目で知れる相手であるにも係わらずだ。
「もう死ぬ妖を生かして満足か」
死ぬ手前だった妖を、生き永らえさせている。摂理に反した行為が可能であるのは、人であった姫の治癒の力故か、それとも妖故の何かしらがあるのか、ただ、今の人の世で、その行為は有り得ない。
「満足だな」
金の双眸が、薄く笑う。
冷たくも思える笑みは、どこまでも深い情からなのか、そこまで誰かを慕うことなどない竜二には、全く理解出来ない。
「惚れた相手に傍に居て欲しいってのは、贅沢かい? 人の子よ」
摂理に反して生かす程の感情など、人にとっては愛しさでも何でも無い、否、愛しさであるにしても、それ程までの愛しさは狂気だ。
人と区別した様な発言は、それが分かっての、まだ冷静である証左なのか、それとも、人と妖、どちらも持つ感情は変わらぬとの表明であるのか、瞳からは読み取れない。
ただ、それを受ける側である妖は、この男に生かされると言う事実を、厭うている様には見えなかった。他人に、己の寿命を操られるなど冗談ではない竜二にとって、沙汰の外の解釈だ。
「大体、感謝して欲しいぜ。オレの子孫はねえんだからな」
嫌悪感だけで、目を細めたまま何も言わぬ竜二をリクオは気にした様子もなく、くつりと笑う。
「は、そりゃそうだ」
同性で、子は儲けられぬ。
鴆が大切であると竜二に示すことは、鴆が弱点だと示しているに等しいが、他に手を出すつもりなど欠片もないリクオが鴆を大切にしている以上、その子孫はない。弱点ではあるが、手出しはしない方が、長い目で見れば得策だと、そう言うことだ。
リクオが、他に手を出さない確証はどこにもないが、ただ継嗣の為だけに、子を儲ける考えなど、持ち合わせていないことは分かる。それが妖の血故か、リクオと言う個人の気質故かは、竜二にはどうでも良いことだ。
「精々、てめえが振られねえように祈っといてやるよ」
「心強いな」
笑う男に、大きく溜息を吐く。
「で」
莫迦莫迦しい。
「何だ」
「さっさとゆらについて話せ」
秋房が戻って来るまで、どれ程時間があるのか知らないが、これ以上惚気を聞きたいとは思わない。
「忙しねえな」
鴆についてふらりと口にしたこと自体、まったく己の誤りだったと胸中で舌打ちしながら、愉しげに話すリクオの表情自体は、狂気めいたものでもまるで子どもの様にも思えて――だから故かもしれないが――落差におかしさを覚えた。
「眠れてるか」
「いや――違うな、寝ている」
額へ触れられた手が、手首を掴まれていた時よりも冷たく感じられる。薬のにおいのする座敷や、手慣れた様子、己に刀を頼んだあの男の反応からして、この妖は医師の類なのだろう。京で見たことがある覚えはあるが、朧だった。
「ま、その辺りは人の方でどうにかしてるよな」
ただ、名が、鴆と言う妖であることは知っている。
問いに否定を返そうとして、秋房が正確に言い直しただけで、鴆は今の秋房の状況を正確に把握したらしい。体調を崩していることを見抜いたことも含め、腕は良いのだろう。
「ええと、――」
言い掛けて止めた鴆の言いたいことが何となく察せられて、続けて口を開いた。
「秋房」
秋房を座らせて、自身は膝立ちでいた鴆は、答えに瞳を和らげる。そうして、ゆっくりと、秋房と目線を合わせた。
「生きてて、詰まらねえか。秋房」
優しい物言いでありながら、紡がれる内容は唐突で辛辣で、だが、正しい。ほとんど初対面である秋房を見抜かれたことに、意外にも不快感はなく、ただの驚きだけだった。妖であるからなのか、と思うが、おそらくそうではなく、この酷く綺麗な妖の洞察だ。
医に携わる者の持つ、感覚であるのかもしれない。
「いや」
義妹を助ける為にと、百鬼の主である妖が京をおとなった時から、秋房は、それまで陰陽師として受けていた、妖を完全に否定する考えを捨てた。妖に憑依されて尚生きていることが――決して仲間意識ではない――理由であれば、妖に助力を受けたことも理由である。それまでの己が、一面しか見ていないことを思い知らされた。
秋房をここに伴った竜二は、秋房とは違い、最初からそれを分かっていて、それでも妖を否定している。
貫ける、強さが眩しい。
「竜二も雅次もゆらも、私を案じてくれていることは分かっている」
竜二には、それが竜二が陰陽師として在る理由なのだろうと、秋房は勝手に思っている。
妖を排除する為に、元々陰陽師があったのかと問われればそれは否だろう。秀元の在り様を見るだけでも、否と答えられる。
ならば、陰陽師としてしか存在出来ぬ秋房は、妖を排除することだけを、あの京の日まで見て来た己は、どうしたら良いのか、分からなくなっていた。
「私は、私の存在意義を、見つけられないだけだ」
今まで疑いもなく信じていたものを、揺り動かされただけで、気力を失っている己が脆弱なのだとは思うが、どうしても、何の為に己があるのかと思えば、立ち止まってしまう。
上げた瞳を、綺麗な翡翠と合わせて淡々と紡ぐと、翡翠色は、秋房を憐れむでもなく、ゆっくり瞼を上下させて、安堵させる様に唇を小さく笑ませた。
「それがお前に要るってなら、見つけた方が良いんだろうな」
てっきり不要だと切り捨てられると思っていたところでの正反対の言葉に、秋房は目を細める。
「お前達は、要らぬか」
人と妖の寿命は違う。
精々百を生きれば良い人と異なり、妖はその十倍をも生きることが出来る、永遠を持つ。己の価値観を押し付けるつもりはないが、その長い命の中では、己が居る意味を持たぬことは、秋房からすれば、不安しかない。
「んー。永く生きてるもんがほとんどだし、あっても良いけど、無い方が、気楽に生きられると思うぜ」
少し思案の素振りを見せて、鴆は肩を竦めて言う。
「他人事だな」
そう言う考え方もあるのか、と思うものの、永く生きる妖であるのに、まるでそうではない様な言い方をする後半部分がどうにも柔らか過ぎて、眉を顰めて返した秋房に、鴆はあっさりとした笑みを浮かべた。
「ん? ああ、オレ、本当はもう死ぬ筈だったし」
言葉には釣り合わぬ明るい面が、どう説明したものか、とばかりに頤の先を指で撫でる。
「鴆って言って分かるか」
「名くらいならば」
「なら、基本、二百年位しか生きられねえってのは知らねえか」
人と同じ様に、期限があるのだと、これもまたあっけらかんとした口調で話す。
「で、もう死ぬ筈だったオレを生かしてんのは、オレの主だ。理由ははっきり分からねえけど、ま、普通の妖程度に生きてける様になった。だから、あんまり長い話は自分のことでも他人事だな」
今し方、金色の双眸の妖に抱き締められたまま、その意のままにされている様でもあった鴆は、その命までも、主に左右されていると言う。どう言った関係であるのかは、秋房の興味を引かないが、今の鴆の言葉からすると、命を支配されていると言うことだ。
「死ぬ筈であったなら、尚更、生きる理由が必要なのではないか」
つまり、鴆の意思ではないということであり、表現は悪いが、正しく、己の意思ではなく生を伸ばされている。それならば、他の妖より尚のこと、生きている意味が、もし秋房が同じ立場ならば、欲しい。
死ぬ筈であったのならば、死ぬ覚悟とて、出来ていた筈で、それを壊されたのだ。どうして揺らがないでいられるのか、分からない。
「別にオレは要らねえよ。大体、あってもなくても、秋房、オレもお前も、食べて寝て、身体的には生きてんだぜ」
「――長く、生きるのにか」
当たり前のことを、当たり前に言われて、それがなぜか耳に残る。
「長く生きるから、無くても良いんだろうと、オレは思ってる」
無い方が、気楽だろうと、鴆は言った。
それは、無い方が、縛られないからと、同義だ。それに初めて気付かされて、何か、奇妙な感覚を胸の内に覚えた。
妖とは棲む場所の異なる気配が、遠のいて行く。
迷うことのない足取りで、人の世との境の結界を越えて行く二つの背を遠くに見ながら、少し下を向けば、すぐに細い首筋が目に入り、整えてからいくらか経つ、青緑色の髪が肌の白さを覆っていた。
「長く生きるってのは、人には考え難いんだろうな」
やんわりと後ろから抱き竦めても、当然に受け入れて、驚くことは勿論、抗う事などせずに収まる肢体が、ぽん、と全く深刻さのないのんびりした口調で言う。
昼のリクオのことを示している訳ではない。
おそらく、秋房のことなのだろう。鴆と共にリクオ達の居た座敷に戻ってきた秋房は、出て行った時と相変わらずではあったものの、少しだけ、気配に色が付いていた。何か、僅かであっても変化をもたらす会話があったのだろうが、それは、リクオの知るところではない。
「そりゃな。どうやったって、想像の域を出ねえよ」
鴆とて、しばらく前まではそうだった。妖からすれば、鴆と言う妖が本来持つほんの二百年など、人と変わらぬ寿命だ。
「っても、オレもやっぱり想像出来ねえな」
他の妖と、同じ程の寿命をリクオによって手に入れた鴆は、これまでと同じ様に過ごして行くことしか分からない、と言う。それが当たり前だろう、別に何も変わらない。
滑らかな髪の間から、こめかみに口付けながら笑うと、くすぐったい、と声が上げられた。
「ま、けど」
楽しそうに笑う声が、リクオの肩から零れ落ちた髪を、細い指先で引く。永い寿命を得ても、鴆であるから、その特有さも、虚弱さも、細さも、儚さも、綺麗、と言う表現が一番合う面も変わらない。
相変わらず、愛しい、リクオの相手だ。
くい、と髪を引く甘える仕草に腕を緩めると、鶸萌黄の双眸が細められ、身体を振り向かせて、リクオを見上げる。
「前より、お前が欲しいって思う様にはなった」
容貌が、綺麗な形で笑みを作る。
悪戯めいた物言いの白い手が、向かい合ったリクオの首へと掛けられ、強請る様に伏せられた双眸に、目で笑って、応える為に薄い唇へと己のものを重ねた。
- 終
-
※竜二とリクオの話を書く、と伺って、昔、リク鴆と竜二と秋房の話を書いて途中放置していたことを思い出して、こう言う話ではなかったですが、書きたくなったのでsssです。切っ掛けを下さって、ありがとうございました。凄く楽しかったです。リク鴆はやっぱりいちゃいちゃしてると楽しい。
>>20110821/SCC関西17無料配布/20120223サイト掲載
途中放置していた話は、ファイルを見つけたら、鴆がリクオに京都へ夜の散歩に連れ出されて、この顔ぶれプラス秀元との話でした。